2016年9月のお知らせ

m201609天気予報からは、連日、「猛暑・熱中症」という言葉が流れてきます。お元気に過ごされていますでしょうか。「おはよう ございます」。夏休み、クラブ活動に登校する中学生から、声をかけられました。日焼けした顔。暑さの中での練習はだいじょうぶ?・・と心配になります。

「8月・葉月」は、戦後生まれの私たちに、「戦争という史実」を改めて考える機会を与えてくれます。84歳になる叔母から一冊の本を渡されました。「私の幼友達のあっちゃんが書いた本。読んでみて!」。題名は「わたしの昭和 月夜のチョコレート」、満月を眺めている2匹のうさぎが描かれている、ほのぼのとした表紙絵です。そういえば私が幼少のころ、「お月さまでは、兎が餅つきをしている」と聞きながら、育ちました。

主人公の「あっちゃん」は昭和19年(1944年)、大阪市内の国民学校(小学校)の6年生。集団疎開で島根県の宍道しんじ近くの禅寺に住み、般若心経はんにゃしんぎょうを唱えてから一日が始まります。午後、子どもたちは全員、お寺の縁側に並んで両親からの手紙や小包を待ちます。非常時もかかわらず、小さなお菓子が「そ~っ」と入っています。やがて情勢の悪化とともに、子どもたちに送られてきた小包は、先生の前で開き、子どもたちの手元に届かなくなります。先生は考えていました・・。ある夜、かすかな月明りが差し込む二階の母屋おもやの中で、子供たちに送られてきた「お菓子の山」ができていました。先生は子供たちに、「順番に、お椀に一杯すくって・・。どんなお菓子が入っても、文句言いっこなしですよ」と言いました。あっちゃんは目を閉じて、お椀をすくいました。仲良しの「サエちゃん」もすくい、二人でそっとお菓子の包みを開けました。思いがけない、銀紙で包まれた小さなチョコレートが二つ。「いっしょに、食べよ。ああ、おいし。泣きとうなるくらい、おいしいなあ」。できるだけ長く、チョコレートの甘さを口の中に含んでいました。

昭和20年3月13日の深夜から、大阪大空襲が始まり、あっちゃんはお父さんの郷里の香川県に来ます。「汽車の真ん中にギュウギュウに押し込まれて、立ったまま、何も食べず、ただ上を向いて息をしているだけの時間であった」と書かれています。香川に着いて、あっちゃんは大きく深呼吸しました。「空気の味がやわらかい」という印象(安心しました)。その後、あっちゃんは、坂出市のおうごし小学校の教諭として、8kmの道のりを自転車で通います。「王越」は香川県の北端のほぼ中央に位置し、瀬戸内海と山々に囲まれた地域です。ある日、自転車がパンクして、山沿いの道を押しながら歩いていました。(私も知っていますが)このあたり家々はまばらで、海と風の音だけが聞こえ、少し心寂しく感じます。「馬返しうまがえし」という岬を越えると、子どもたちが走ってくる光景が目に入りました。「センセ、どうしたんな。待っても来んけに、迎えにきてあげたで」。この情景は、つぼさかえ著の「二十四の瞳」と重なりました。ウォーキングの途中、「おはよう ございます」と、弾んだ明るい声で挨拶して下さる女性がいました。その方が「あっちゃん」だと知ったのは、ずいぶん後になってからのことでした。

この夏はオリンピックと甲子園での高校野球の選手達から、元気を頂いた夏でした。「仲間とともに、とにかく練習をしました」という言葉は自信に満ち溢れています。男子テニスの植田実監督は、(賞金や世界ランキングにつながる試合のみに参加するテニス選手が多い中で)「錦織(にしこり)(けい)はぶれなかった。日本選手の手本になると思う」と言われた言葉が印象に残りました。私は「ぶれない」という言葉が好きです。錦織選手は表彰式から数時間後、深夜の飛行機でアメリカへの試合に出発しました。

9月のお休みは、10日(土曜日)・19日(敬老の日)・22日(秋分の日)そして日曜日です。

8月22日の夕方、突然、雨が降り始めました。台風を思わせるような豪雨が1時間ほど続きました。35℃を超える暑さの毎日。久しぶりの雨に、気持ちが助けられました。空を見上げたら、「虹」が出ていました。思いがけないプレゼントです。おからだ、大切になさって下さい。