#543 さぬきうどんブームの起こった回数
全国には名物といわれるものが津々浦々に点在しています。うどんひとつとっても、稲庭うどん(秋田県)、白石うーめん(宮城県)、水沢うどん(群馬県)、みみうどん(栃木県)、加須うどん(埼玉県)、武蔵野うどん(東京都)、氷見うどん(富山県)、ほうとう(山梨県)、きしめん(愛知県)、伊勢うどん(三重県)、讃岐うどん(香川県)、博多うどん(福岡県)、五島うどん(長崎県)などが挙げられます。もちろんこれ以外のご当地うどんも沢山あるし、名はなくともうどんはそれぞれの地域で人気メニューになっているはずです。
このようなライバルが大勢いる中、幸い「讃岐うどん」も全国的に名前が広く知られるようになりましたが、これは先人たちの努力に加え、これまでに何度が起こった「さぬきうどんブーム」なしには考えられません。そしてこの「さぬきうどんブーム」の起こった回数については見解の別れるところです。例えばウィキペディアには以下のような説明があります:
香川県農政水産部は、20世紀後半から4度の讃岐うどんブームが起きたとする。田尾は第3次と第4次を連続したブームとしている。ブーム発生の年は以下の通り。
【第1次:1969年】
最初の注目。立ち食いうどん、大阪万博への出店や金子正則知事によるトップセールスなどによる。当時香川県はPRのためキャラバン隊を組織していた。
【第2次:1988年】
瀬戸大橋の開通を受けて四国全体の観光客が増加し、うどん店への客も増加した。一部の店が値段を高騰させるなどの問題も生じた。橋の開通が好影響を及ぼし、冷凍讃岐うどんの売上が急増し、全国的に手軽な讃岐うどんとして普及していった。
【第3次:1995年】
田尾らの仕掛けによる香川県内のうどん店を巡る客の増加。引き続く全国区への「怪しい店」露出による県外からのうどん店目的の観光客の増加。
【第4次:2002年】
香川県外でのセルフうどん出店増加により、讃岐うどんを認知し、実際に食べる機会が増えた。
もちろんこういう見方も十分に説得力がありますが、一方でうどんの生産量を考えると違った見方もできます(#328)。第2次ブームの生産量は、30,533㌧@1990年⇒39,717㌧@1991年と僅か一年で30%もアップしているので確かにブームであると言えます。一方、第3次ブームの1995年辺りは、右肩上がりですが、それは緩やかに上昇しています。そして56,755㌧@2002年⇒66,985㌧@2003年の一年間では、18%アップとなっています。よって数字から眺めてみると、第3次と第4次は併せて第3次と見るほうが良いかも知れません。つまり第3次(1995年)辺りから少しずつブームが起こり始め、それが第4次(2002年)で一気に頂点に達したとする見方です。するとうどんブームは3回ということになります。
それにしても僅か1年で生産量が18%も30%もアップすることはなかなか想像できません。特定の店舗や銘柄であれば理解できますが、香川県全体でそれだけアップするのはすごいことで、だからブームということになります。因みに第2次ブームは、丁度瀬戸大橋が開通し、架橋博覧会が開催されていた時期です。四国がとうとう本州と陸続きになり、本州側から大勢の観光客が押し寄せました。金毘羅さん界隈では、一杯600円という当時では法外な価格設定の素うどんが販売され、観光地ではお土産うどんが飛ぶように売れました。製造が間に合わず、とにかくうどんの格好さえしていれば、何でも売れたとも聞きました。
またあるうどん店では一日の売上が280万円という、今後きっと破られることがないような記録も生まれました。これは単純に客単価1,000円としても2,800人に相当し、にわかに信じられる数字ではありません。しかしそのお店のあった場所も今はコンビニへと化し、時代の変遷を感じないわけにはいきません。うどんブームは続いても、その主役であるうどん店のタイプも変化しています。つまりブームは続いていても、その中では常に新陳代謝を繰り返していることになります。