#167 今時の小麦製粉⑩・・・製粉の簡単な歴史

古代の人々は、最初のうちは単純に穀物を「叩いて」、割っていましたが、これは流石に効率が悪く、そのうちに「擂り潰す」ことを考案しました。そしてパンづくりの起源といえば、従来は1万数千年前のシリア北部と考えられていました。しかし2004年8月号のネイチャーによると、2万2000年前のイスラエル北東部のオハロ遺跡から出土した石皿には、野生の小麦などのでんぷんが付着していたというので、パン作りはこの頃、既に始まっていたのかもしれません。いずれにしても何万年も昔に、製粉は既に始まっていたことになります。
現在、製粉用の道具として一応名前のついているものでは、紀元前4000年頃の古代エジプトで使用されていたサドル・カーンが最初で、これは大根や生姜を擂(す)るような前後運動によって製粉する簡単な道具です。普通、石臼といえば私たちがイメージするのは丸い回転式ですが、このタイプが登場するのは、その後ずっと後の紀元前1000~500年頃で、ロータリーカーンとよばれています。

「往復運動」でも「回転運動」でも大した違いはないじゃん、私たちは思いますが、古代の人たちにとって、このハードルは高く、往復運動のサドル・カーンから回転運動のロータリー・カーンに移行するまでは、なんと3000年という気の遠くなるような時間がかかりました。以後、部分的な改良は加えられますが、19世紀後半に製粉史上最大の発明と言われる「ロール式製粉機」が登場するまで、この回転式の石臼が更に2000年に亘り、主役の座を占めてきました。

ところで、このロール製粉機を最初に考案したのは、イタリア人のラメリ(Agostino Ramelli)で、1558年のことと言われています。で当時、この界隈でどんな出来事があったかといえば:
1498年 – レオナルド・ダ・ヴィンチ、最後の晩餐(ミラノ)
1555年 – ノストラダムス『予言集』刊行 (フランス)
1558年 – デッラ・ポルタ『自然魔術』出版
1633年 – ガリレオ・ガリレイの第2回宗教裁判、などなど。

しかしこのアイデア、当時は革新的すぎたのか、日の目を見ることはありませんでした。その後長い間、大試行錯誤が続き、1834年になりようやくズルツベルゲル(Sulzberger)が実用に耐えるロール製粉機の開発に成功しました。とはいえ当時はまだ石臼の方がコストパフォーマンスに優れていたので、普及するには至らず、実用に耐えるヒット商品を生み出したのはウエグマン(Wegman)で1873年のことでした。つまりラメリから300年余りかかってようやく実用化が実現しました。

近代製粉の条件としては、次の3つが挙げられます:
①全自動であること
②全てロール製粉機を使用していること
③段階式製粉方法を実践していること

この内、①全自動式の製粉工場を最初に実現したのは、アメリカの技術者、オリバー・エバンス(Oliver Evans)です。彼は1782年着手し、1785年までにこの工場を完成させました。これが世界で最初に建設された完全自動化の製粉工場です。彼は自動化を実現するために、スクリューコンベアー、バケット・エレベーター、そしてダスト・シュートなどを考案しました。そして注目すべきは、これは製粉産業だけでなく、すべての産業の中において最初に無人化された工場だということです。

彼はこの工場の詳細を記述した「製粉大工と粉屋の手引き」という本を、1795年に著しました。これは当時の製粉産業のバイブルともいえるもので、フランス語やドイツ語にも翻訳されました。そして版を重ね、1850年には第13版が発刊されたことからも、これがいかにベストセラーであったかがわかります。次は彼の設計した完全自動化の製粉工場の断面図です。