#262 人類の重みにきしむ「命の糧」・・・小麦の将来②
タボアダさんの農場からは標高4100mのトラロック山脈を望むことができる。ここはかつてアステカ族が雨乞いをするときに神に祈った場所だ。シミット(CIMMYT、国際トウモロコシ・コムギ改良センター)は、予算6000万ドル、総勢700名で展開する世界的な国際機関だが、シミットでは現在こういった高地でもコムギが栽培可能かどうか研究中だ。
だがシミットの喫緊の用事は、1999年にウガンダで発見された強毒性の小麦サビ病「Ug99」の蔓延を阻止することだ。シミットの主任コムギ研究者は次のように言う「この厄介なコムギサビ病は900万ヘクタールの小麦畑を抱えるパキスタンの目前にまで迫っているし、隣りにはインドがある。我々はなんとしてもこれを水際で阻止しなければならない」。
実は小麦の病気の中でもっとも厄介だと恐れられている小麦サビ病は、故ノーマン・ボーローグ博士やシミットの研究者達が異種交配を重ねた結果、高収量かつ耐サビ性の育種を開発した1960年代にほとんど撲滅されたと考えられていた。しかし今度は従来の耐サビ性を超える新種の小麦サビ病が出現したのだ。その何十億という数の胞子は、風に運ばれて小麦にくっつき、芽を出し、細長い腺毛を茎に突き刺し、その栄養分を吸い上げるのだ。吸われたところは赤茶色に変色し、水ぶくれのように膨れ上がり、やがて小麦を枯れさせてしまう。
ウガンダで発生したこの病気は、ケニヤに広がり近年ほとんど全ての穀物を絶滅させた。今ではエチオピア、スーダン、そして紅海を飛び越えイエメンに、更には直近ではイランにまで到達したが、これらの地域の農民には防カビ剤を使用できるだけの経済的余裕がほとんどないのだ。科学者たちはこのUg99はその内に必ず南アジアの穀倉地帯にまで到達するだろうと予測している。そしてこの地域に展開しているアメリカ兵達の衣類や装備品に付着した胞子は、知らない間にアメリカ本国に持ち帰られることだろう。
「現在最も懸念されているのは、人々の交流による伝播だろう」とミネソタ州セントポールにあるアメリカ農務省穀物疾病研究所のサビ毒研究者であるスザボ氏は言う。1953-1954年当時の小麦サビ病は、ミネソタ州、南北両ダコタ州におけるほぼ半分の小麦を絶滅させてしまった。スザボ氏は「現在アメリカの小麦のうちざっと80%が感染の危機にさらされている」と言う。
世界的な連携を始めた研究者団体は、今後20-25年の間に小麦の収量を50%引き上げるという目標を設定したが、これを実行するには小麦という植物の構造を根本から見直す必要がでてくるだろう。つまり一例を挙げるとたわわに実った重い穂を支えることができる茎に、どのように改良していくのかといった技術上の問題だ。
また多収性品種の育種には、GM(遺伝子組み換え)技術が必要だろうが、一方でそういった生命形態に係わるような技術に対しては一般のアレルギーも大きく、それが現在のGM小麦開発の遅れの一因にもなっている。しかしシミットのセンター長であるランプキン氏は「そのような反対意見は自己欺瞞に過ぎない。GMはもはや避けては通れない」と言う。小麦生理学者であるレイノルズ氏は「例えば米の遺伝子を小麦に組み込んで、干ばつ耐性を持った小麦が開発されるだろう」と予想する。
ランプキン氏は「世界的な食料安全保障についての短絡的思考や独りよがりな考えが2008年の食糧危機につながった。今後はそれを教訓にして行動しなければならないが、それにはまず政府による農業研究援助の大幅な引き上げが必要だ」と言う。しかしながらアメリカの農学者たちは、アメリカを始めとする永年のシミット支持国の援助が後退してしまうことを危惧している。「金融危機の後、人々や国々は総じて利己的、また近視眼的になっている。そしてこういった因習的な思考によって将来が決定されてしまうことを危惧している」と彼は言う。「どういう結末を迎えるかは、実際に将来食糧が枯渇してみないとわからない」っと。