#380 さぬきうどん研究会30周年
来年(2014年)1月28日に「さぬきうどん研究会」が創立30周年を迎えます。そしてそれに先立ち、先日いくつかの記念イベントが行われました。5月15日には総本山善通寺御影堂にて献麺式。5月20~24日には香川県庁1Fギャラリーにて、これまで30年の歩みを綴ったパネルの展示会、そして5月25日には、記念式典が盛大に挙行されました。更には9月17~22日には「中国の麺食文化探訪の旅」も企画されていますので、もし麺のルーツを見てみたいと思わんお方は是非ご検討ください。
ところで「さぬきうどん研究会」は、真部正敏先生が香川大学教授時代に立ち上げた純粋の民間団体で、これといった財政的基盤はありません。それだけに30年間も続いたことは、会員各位のご努力もあるとは思いますが、何といっても会長ご自身の人望によるところが大きいと思います。何事もそうですが、立ち上げるのは大変ですが、それを維持していくこと、更には30年も持続させるというのは、比較できないほどの困難があったに違いありません。
レセプションのご挨拶で、大西高松市長が「30年というと、私が大学を卒業して、丁度今日までの期間にあたります」と仰った言葉が時代の流れを実感させ印象的でした。「一口に30年、言うは易く続けるは難し」です。また地元香川県のご出身である長尾香川大学学長のご挨拶では、「子供のときに、うどんを1時間も踏まされたのには閉口したけれども、うどんは何よりのご馳走でした」という一言が、如何にも時代を象徴されていると思いました。やっぱり讃岐うどんの歴史は脈々と受け継がれていると感じ入りました。
さて「さぬきうどん研究会」の目的は「讃岐うどんの伝統を継承し発展をはかるために文化的、技術的活動を行う」ことです。中でも毎年発行される会報「讃岐うどん」が30年間続いたことは、本当におそるべきご努力です。創刊号をパラパラとめくっていると、当時香川県製麺組合連合会会長(現・本場さぬきうどん協同組合)であった鳥塚晴見さんの寄稿「讃岐うどん一代記」が目に止まりました。
鳥塚さんは井筒製麺所三代目でしたが、その頃のうどん屋さんというのは、冬至そば(讃岐では冬至になるとそばを打ちます)、年越しそばを打つ頃になると、2日も3日も寝ずに働いていたそうです。これを見た鳥塚少年は、「これだけ働かないと飯が食えないのか」と思い、絶対にうどん屋だけにはなりたくないと思ったそうです。それにはやっぱり学歴を身につけないとダメだということで、工業専門学校に入学しました。しかし卒業はしたものの、生憎敗戦の過渡期にあり、就職はままならず、失意の内に高松に帰ってきました。そして「蛙の子はやっぱり蛙」ということで、意に反してうどん屋家業を引き継ぐ羽目になりました。
しかし昭和30年代に父親が引退してから後は、世間の人たちから笑われないように全力を尽くして商売に打ち込もうと決心されました。当時の販売形態は、八百屋に卸すか、飲食店に卸すか、職域の食堂に卸すかの3通りが標準でしたが、折しもちょうどスーパーマーケットが台頭してきた時期で、鳥塚さんもどうされるか随分と悩まれたようです。そして考えに考えた末に、スーパーマーケットは諦め、小売に注力することになり、うどん専門店の道を選択されました。「スーパーマーケットに進んだ方が良かったのかそれとも選んだ専門店が正解だったのか、よくわかりませんが、私自身はこれが正解であった」と最後に結んでいます。
以上は30年前の出来事ですが、時代は繰り返し、現在も皆さん昔と同じように悩んでいるんだなと感じました。一方一部の専門店は大型化、そして店舗展開の方向に進んでいますが、その結果うどんの多様性が薄れていくようで少し残念な気もします。いずれにしても今後もさぬきうどんの歴史が続いていくことを願って止みません。