#392 竹松うどん
先日(2013.08.23-24)、社内旅行で琵琶湖方面に行って参りました。最近どうも物忘れが気になるので、例によって備忘録として、時系列的に簡単に書き出してみました。余談ですが、「昨夜の夕食、何だったか憶えていますか?」みたいな質問、よく耳にします。確かに考えてみると、よく思い出せなくて焦りますが、よくよく考えてみると、夕食といってもいつも似たようなものが食卓に並び、またメインディッシュが登場しないこともあるので、夕食を思い出す作業もそれほど簡単な作業ではないと、自分に言い聞かせ、納得するようにしています。
①近江八幡の町並み + かわらミュージアム
近江八幡は城下町、そして近江商人の商業都市として繁栄・発展を遂げてきた街です。そこになんで「かわらミュージアム」なるものがあるのかと思ったら、近江八幡は「八幡瓦」のまちとして名高く、瓦そのものが町並みの中で、強く存在感を出しています。
②若狭鯖街道・熊川宿
若狭湾でとれた鯖や貝などの海産物を京都まで運ぶ、小浜⇒熊川⇒保坂⇒京都ルートは、「鯖街道」と名付けられました。確かに熊川の道の駅で買った、昆布でしめた鯖寿司は絶品でした。昔は、仕込んだ鯖寿司が、一昼夜かけて京都に運ばれる間に、丁度良い塩梅(というかしめ具合?)になったそうです。
③舞鶴市立・赤れんが博物館
博物館の建物は、明治36年(1901)に「旧舞鶴海軍兵器廠魚形水雷庫」として建設されたものを、改装したものです。難しい名前ですが、兵器廠(へいきしょう)とは、兵器の倉庫みたいなものです。また魚形水雷は、その省略形が魚雷ですが、そうみても魚雷の方がわかりやすいですね。
④竹松うどん
本ツアーのメインイベント、京都府綾部市にある竹松うどんさんです。実は、ここの大将、竹原友徳さんは以前弊社新着情報#108でご紹介しました(だから行きたかったんです)。大将は他のうどん屋さんと同じく、うどん好きが嵩じてうどん屋さんになったんですが、ただのうどん好きではありません。大学卒業後、さぬきのうどん屋さんで3年間修行し、その後箱バンひとつで日本全国を2年間かけてうどん修行の旅にでかけたというかなりの強者です。当時はうどん大好き青年でしたが、現在はパンチパーマが良く似合う、一見演歌歌手風のうどん屋の大将に変身していました(といってもそれ程変わったわけではありません)。
そしてその彼が、数年前に綾部にうどん店を開いたというので、是非一度いってみたいと思い続け、今回念願かなったというわけです。ついつい感動の余り、「冷やし特大(3玉) + 竹松うどん名物・せせりうどん」の合計4玉も食べてしまい、お陰で元の体型に戻るまでかなり時間を要しました。オール手打ちの麺は、ビミョーに不揃いで、縮れていてなんとも言えない味わいがあります。また国産100%のうどんは、低たんぱくであるため、気持ち平麺に仕上がり、上品なうどん(?)となっています。
ところでこの「竹松うどん」の由来はというと、女将さんの旧姓が松島さんなので、両方の苗字から1字ずつとったというわけです。そういえば10年前にお邪魔した愛媛県内子町の「なみへいうどん」さんは、女将さんが「なみ子」さん、ご主人が「平治(へいじ)」さんでした。この時の釜揚げうどんも感動ものでしたが、行く途中でバスが進めなくなり、何百メートルもバックしたのが印象的でした。それにしても、うどん屋さんというのは、ご夫婦本当に仲がいいですね。日本全国津々浦々、実に様々なうどん屋さんがあり、みなさん頑張っているお姿を拝見して、我々も元気をもらい戻って参りました。みなさんも是非一度機会があれば是非どうぞ。