#440 津和野・萩の旅

f440弊社では例年、8月下旬の一泊旅行が恒例行事となっています。普段はみなさん同じ社内であっても、話す機会が少ないため、社内旅行は親睦を深める絶好の行事です。できればもう少し足を延ばしたい気持ちもありますが、そうなると配送などに支障をきたすため、ここ数年は一泊旅行となっています。一昨年(2012年)は京都、昨年(2013年)は近江八幡と東方面でしたが、今年は津和野(島根県)・萩(山口県)と西方面にいって参りました。

津和野は江戸時代、津和野藩の城下町として栄え、山陰の小京都としても名高いまちですが、一般常識に乏しい私にとっては知るよしもなく、不明を恥じ入りました。地図をみると津和野は、島根県の西部に位置し、ずばり辺ぴな地域に見えます。つまりどこかへ行く途中にふらっと寄れるような土地ではなく、はっきりと「津和野に行く」という明確な意思がなければいけないところです。ただ萩市とは比較的近いので、今回の私たちのように、両方をセットで訪れることが多いようです。実際の津和野は、小綺麗な歴史のまちで、いかにも山陰の小京都といった感じでした。町並みもさることながら、そこで耳にした名物のエピソードがとっても印象的でした。

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まずは、カステラ風の薄い生地に餡こを包んだ銘菓「源氏巻」の話。津和野藩三代目藩主亀井茲親(これちか)は勅使(使者)の接待役を命じられ、その教育係である吉良上野介に教えを乞いますが、吉良は接待方法を教えてくれないばかりか、逆にいじわるばかりします。それに耐えかねた茲親は、吉良を切ろうと決心しますが、それをいち早く察知した家老・多胡真蔭(たごさねかげ)は、小判をカステラのような生地に包んで吉良に進上します。すると吉良は手のひらを返したように、接待方法を手取り足取り伝授してくれたとのことです。この多胡の機転により、藩の騒動を未然に阻止することができ、これを記念し、小判の代わりに餡こを包んだ菓子が、「源氏巻」となりました。話の真偽はともかく、忠臣蔵とは、真に対照的なお話でした。

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次は「うずめ飯」といわれる料理で、これはごはんの下に、みつば・椎茸・にんじん・豆腐・のりなどをうずめ、お出しをかけて食する、津和野の郷土料理です。名前の由来は諸説あり、その昔津和野は、山あいの町で、お客様にもてなすものが山菜くらいしか無く、表にだすのが恥ずかしいので、ごはんの下にうずめて隠したという説。また倹約令のもと、おかずをうずめて隠して食べたという説など色々あるようですが、どの説ももっともらしく大変興味深い話でした。

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またいなり寿司の酢飯の代わりにそばを詰めた「いなりそば」という料理にも興味を引かれました。実は、以前あるユーザからそば寿司(巻き寿司の酢飯の代わりにそばを使用した料理)の話をお聞きし、そば屋が少ない香川ではお目にかかったことがないので、「おもしろい料理があるなあ」と思っていました。この話を県外でしたところ、「そば寿司だけじゃなくて、いなりそばもあるよ」と聞いて更にびっくりしましたが、図らずも津和野の地で目にすることができました。

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さて料理の話ばかりになりましたが、津和野の後は、歴史の町・萩に向かいました。実は萩市には、弊社の小麦粉ユーザがいらっしゃるので、定期的に訪れていて個人的には馴染みの深い土地です。しかし同じ土地でも仕事でくるのと、社内旅行でくるのでは、イメージが全く異なります。萩市は人口約5万人と坂出市よりも僅かに小さな町ですが、その歴史は比較になりません。そして萩市からの帰り道、秋芳洞に寄りました。秋芳洞といえば、その昔、香川県の修学旅行では必ず立ち寄る定番中の定番で、私も中学の修学旅行でいきました。遥か◯十年前のことですが、百枚皿など記憶に残っているスポットもありました。下から伸びるたけのこみたいな石筍(せきじゅん)は、500年かけて2センチ伸びると聞き、「するとあれから数ミリ伸びたのか!」と思わず唸ってしまいました。

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