#502 ファド音楽

f50212月12-13日(土・日)の二日間、全国の有名うどんが一堂に会した「年明けうどん大会2015 in さぬき」が、サンメッセ香川にて盛大に開催されました(次回新着情報にてアップいたします)。2009年にスタートした「年明けうどん」も来年で9回目となります。スタート時には、多少違和感がなかったといえば嘘になりますが、今ではすっかり定着した感があります。ところでイラスト担当者による新着情報をお届けいたします。

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先日、友人に誘われファド音楽のコンサートに行ってきました。音楽専攻の私ですが、ファド音楽なる言葉は、初めて耳にしました。説明によると、「ファド」はポルトガル語で「運命」を意味し、その言葉がそのままポルトガルの大衆民族歌謡として現地で親しまれてきたとのことです。基本編成はピアノ、歌、そしてポルトガルギターです。ポルトガルギターというのはリュート属の楽器で、ボディ部分が丸っこく非常に可愛らしい形をしています。楽曲は、マイナー調でゆったりとした哀愁漂うものから、メジャー調でリズミカルな高揚感溢れるものまで幅広く、聴く人を飽きさせません。初めて聴きましたが、どこか日本の歌謡曲にも通ずるような懐かしさを憶えました。

f502_2コンサートでのファド音楽もさることながら、歌手である浅井雅子さんのお話もとっても印象的でした。浅井さんは2007年に単独でリスボンに渡り、そこで毎日ファドを歌う日々を送ります。歌い続けるうちに、活躍の場が徐々に広がり、また「日本人の歌手」という珍しさも手伝ってか、お客さんの反応の手応えを感じるようになります。しかし年月が過ぎ、ファドを探求するに連れ、どうすれば現地の歌い手と同じように、ファドに対して自然と寄り添えることができるのか、という根本命題と葛藤するようになります。

f502_3自分がいくら上手くなろうと、日本人である限りポルトガル人と同じ次元のファド歌手にはなれないと、浅野さんは言います。もちろん才能があれば努力次第で、同じ高みにまで到達できるという考え方もあるでしょうが、私自身は、浅井さんの言葉に素直に共感しました。クラシック音楽を始めとする他国の伝統的音楽は、それだけが突然降って湧いたわけではなく、その背景にある土地、文化、社会などと密接に絡み合っています。そして日本人である私は、その土地の文化や社会を、現地の人と同様に体験することはできないので、全く同じようには演奏できないと考えるのです。

f502_4いくら本を読んでも、何度現地を訪れても、その本質的な壁というのはなかなか乗り越えることはできないのではないか、と私は感じます。また問題は単に地理的文化的なものだけにとどまりません。例えばモーツァルトのピアノ曲を忠実に再現したい、とどんなに一生懸命練習しても、その当時の社会を体験していなければ醸し出せない音があるはずです。現存する「楽譜」を手掛かりに解釈を進めることで、現代に生きる私たちはその作品の本質、再現に近づくことはできますが、何百年も経過した今、それを完璧に再現することは不可能かもしれません。

何れにしても、こうやって自分の知らない音楽を聴くことは、即ち未知の文化に接することでもあり、とっても興味深いです。そして自分の窺い知れないことを、想像することもまた楽しい経験です。これからも機会があれば、どんどん未知の音楽や文化に触れ、自分の幅を広げていきたいと考えています。