#510 ポットカーン(Pot Quern)
先日、近県の製粉会社の応接室で、画像のようなレリーフを発見しました。石臼を挽いている場面で、如何にも製粉会社らしい置物だと感じ入りました。結構年代物でしたので、裏をみると、「製粉振興記念1950年」とありました。丁度戦後の復興が始まったばかりで、これから製粉産業を振興していこうという思いを込めた記念のレリーフです。66年の永きに亘り、この製粉会社の成長をずっと見続けてきました。
ところでこのレリーフに描かれている場面ですが、どこかで見た憶えがあるので、手持ちにある製粉関連の資料を捜してみると見つかりました。但し、見つかったのはモノクロのイラストでしたので、多分どなたかがこのイラストを基に、立体的なレリーフに仕上げたものと推察します。ちなみに見つかったイラストに着色してもらったものも併せてご覧ください。イラストは着色のせいもあり随分ポップですが、レリーフは深みのある味わいに仕上がり、重厚感たっぷりです。
さて文献によるとこのイラストの出典は14世紀のドイツの本で、イラスト中の石臼の正式名称はポットカーン(Pot Quern)です。ポットは日本語では魔法瓶をイメージしますが、実際はつぼ・鉢・かめなどを指し、その形状からポットカーンになったと想像できます。少し補足するとこの石臼は、下石が平鍋のような形状で、上石がすっぽり下石の中に入ってしまう構造になっています。そして粉砕面は、普通の石臼同様、平らで、下石の側面に挽いた粉を取り出す「漏れ口」がついています。また天井に固定されている長い棒は、バークランクと言い、これを持ってぐるぐる回すと、通常よりも労力が軽減されたそうです。
話は少し逸れますが、中世ヨーロッパでは、領地所有者がソーク制度(soke)と呼ばれる特権制度を利用して、小麦取引に関わる利益を独占しようとしました。ソーク制度は、それぞれの地域において、小麦を独占的に製粉することができる特権のことで、中世ヨーロッパでは多くの地域に、このソーク制度が浸透し、その独占権の多くは、教会組織の管理下ありました。
一例を挙げると、英国では1316年以前に認可されたものは、一律利益の10%を教会に支払うというものでした。また製粉機つまり石臼は地主によって粉屋に貸し出されますが、そのレンタル料は、小麦の市場価格に関係なく、常に製粉した小麦重量の1/16でした。この規則を拒否したり、自宅や他の場所で隠れて製粉したりすれば、それが発覚すると穀物は全て没収された上に、大きなペナルティを課せられたということです。
にもかかわらず小麦粉の密造、密売は絶えず繰り返されていました。「英国では農奴や通常の借地人によって収穫された小麦の大部分が、実際に地主の製粉場にやってきたかどうかは疑問だ」という記録もあります。ただその後もこの制度は改められることなく、英国の地方自治体の多くは、18世紀までこの制度を採用し続けました。その理由は、それによって大きな産業が地元に存続し続けることができ、また他に効果的な政治腐敗防止策がなかったからかも知れません。
しかし共同の製粉所が大きくなるに連れ、家庭での製粉は減るようになります。その内に産業製粉が始まると、小麦粉は益々一極集中で生産されるようになり、地方の小さな製粉所は存在意義が無くなるようになります。