#531 松山小学校2年生の工場見学
毎年この時期になると近くの松山小学校2年生が工場見学にやってきます。例年の見学の様子は例えば(#332)をご覧ください。毎年同じ要領での見学会ですが、今年からは、ISO22000認証工場となったので、頭にネットを被り、シューズを履き替えてもらうことになりました。さて今年の2年生は37名(男18:女19)ですが、今から50年前は80名、更に信じがたいことに、60年前にはなんと137名もの2年生がいたとの記録があります。如何に少子高齢化が進んでいるかがよくわかります。
ところで弊社のある香川県坂出市高屋町(たかやちょう)は、坂出市東部に位置し、松山小学校は高屋町内にあります。「松山」というのは校区名で、大屋冨町(おおやぶちょう)・青海町(おうみちょう)・高屋町(たかやちょう)・神谷町(かんだにちょう)の4町からなります。以前はこの4地域が、香川県綾歌郡松山村でしたが、1956年7月坂出市編入に伴い、「松山」の名前がなくなりました。尤もそれよりずっと以前の1890年には阿野郡高屋村と呼ばれていたそうなので、単に元に戻っただけなのかも知れません。
また松山校区の北に位置する坂出市王越町(おうごしちょう)は、過疎化が進み、王越小学校は2011年4月1日、松山小学校と統合しました。つまり現在の松山小学校の校区は、大屋冨、青海、高屋、神谷、王越の5町ということになります。となり町といってもかなり距離があるため、生徒たちは路線バスで通学します。但し1・2年生は、安全上の理由で、なんと「タクシー通学」です。いつも8時前になると、会社前をこの通学タクシーが通過しますが、後部座席には黄色い帽子を被った1・2年生がチョコンと座っているのが見えます。以前はタクシー通学などというものは想像できませんでした。常識・非常識とは普遍的なものではなく、時間と共に常に変化することがわかりました。
松山校区は、坂出市中心部東方約6kmの外れに位置するため、編入後暫くは同じ坂出市内であるにも拘らず、「バスで坂出に行く」という表現がよく使用されました。また当時は、坂出駅に通じる幹線は1本しかなく、自動車は少ないにも拘らず、渋滞が常態化していました。当時はどこもそうですが、バスには車掌さんが乗り、狭い道幅のため対向できなくなると、バスから降りて、バック誘導のために笛を鳴らしていました。
バス停の待合室で待っていると、知らんおっちゃんから「ぼく、どこまで帰るんや?」と聞かれ、「松山」と答えると、愛媛県松山市と勘違いされ、「それは遠いなあ」とびっくりされました。つまり同じ市内であっても「松山」という地名は認知度が低かったようです。またバスの先頭部には行き先が表示されていましたが、知らない行き先も多く、「間違えて乗ったらどうしよう」とハラハラドキドキしながらバスを待っていたのを覚えています。
坂出市も島しょ部の小学校は、過疎化のためにいち早く閉校し、内陸部でも中心地から離れてしまうと王越小学校のように統合するところもでてきます。小学校がなくなると、子供がいる家庭では、小学校が近い地域に引っ越すケースが多くなり、その結果過疎化に拍車がかかります。そして暫くすると65歳以上人口が半数以上を占める限界集落となり、最終的には消滅してしまうようです。中学校や高校はなくても、小学校が身近にあることで、その地域は活性化します。つまり小学校とは、地域の核であり、地域が輝き続けるために不可欠な存在です。