#536 大分・宮崎の旅・・・その①
今年の社内恒例一泊旅行は、2016年8月26-27日の二日間、九州・大分県臼杵市そして宮崎県にいって参りました。九州といえば2009年の熊本・阿蘇以来の7年ぶりになります。九州へ渡るとき前回は「三崎港(愛媛県)⇔佐賀関港(大分県)フエリー」を、そして今回は「八幡浜港(愛媛県)⇔臼杵港(大分県)フエリー」を利用しました。前者は佐多岬半島のほぼ先端にある三崎港から出港するので乗船時間は70分と短めですが、船が比較的小型だったせいか、船酔い者が続出し、佐賀関に到着したときは、顔面蒼白者だらけだったと記憶しています。
一方、今回の八幡浜港は半島の付根にあるため、乗船時間は2時間25分と前回の2倍でしたが、大型フエリーでしたので、余り揺れることもなく快適な船旅でした。豊後水道は太平洋に接続しているせいか、その景色は雄大で、普段瀬戸内海という内海しか見慣れていない私たちにとっては新鮮でした。甲板にでると帽子が吹き飛ばされそうになるほどの強風でしたが、晴天の中の海原は絶景で、素晴らしパノラマ画像が撮れました。以下簡単に備忘録を兼ねてご紹介いたします。
最初の訪問地は、万延元年(1860年)創業の社歴156年を誇る株式会社・久家本店(くげほんてん)。当初は清酒メーカーとしてスタートしましたが、大分といえば何と言っても麦焼酎、ということで、昭和53年には麦焼酎の製造も開始しました。今回の訪問の目的は、酒蔵見学もさることながら、アンテナショップに隣接する「久家の大蔵(おおくら)」の見学です。何が特別かというと、その大蔵の壁面にはアズレージョという装飾タイルが一面に施されているのです。
この大蔵は、梁行4間(8.1m)、桁行15間(30m)の大きなもので、慶応4年(1868年)に完成し、以来久家本店の酒蔵として利用されてきました。平成9年度以降数度に亘る、復元整備「アズレージョタイル」による外部装飾等を経て、現在は「ふるさとの生気」を残す観光文化施設として利用されています。アズレージョとは、ポルトガルやスペインで生産される、上薬をかけて焼かれるタイルで、その青空を連想させる「青」が特徴です。アズレージョは日本では余り聞き慣れませんが、ポルトガルでは教会、宮殿、一般家庭の内外壁、駅舎などほとんど日常の至るところで見られるタイルです。
この「大蔵のアズレージョ」は臼杵の文化人小手川道郎氏の尽力により、臼杵市がポルトガルのアズレージョ作家ロジェリオ・リベイロ氏へ依頼しました。壁には様々な風景のアズレージョタイルが並んでいますが、これらはリベイロ氏が実際にこの大蔵を目の前にして湧き上がったインスピレーションを基に制作されたと聞きました。この大蔵は現在では臼杵市により観光文化施設として有効活用され一般に公開中です。日本伝統の蔵とポルトガルのタイルが違和感なく組み合わさり、独特の雰囲気を醸しだしています。
次に訪れたのは、大蔵から10分程のところにある「国宝・臼杵石仏(せきぶつ)」。これは凝灰岩の岩壁に彫られた60余体の摩崖仏群のことで、摩崖(まがい)とは自然の懸崖(けんがい)または大石の表面を磨いて、文字・画像などを陰刻または浮き彫りにしたものだそうです。平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られたといわれていますが、誰がどのような目的で造営したのかは不明で、今もなお多くの謎に包まれています。
昭和55年から14年に及び保存修復工事が施され、その際に永年頭部のみの姿で親しまれた「古園(ふるぞの)石仏中尊の大日如来像も胴体部分と一体となりました。ただこの辺りは意見の分かれるところで、「修復前の頭部だけが直接地面にあった方が、雰囲気があってよかったなあ」と感じる人もいるようです。何れにしてもこれだけの石仏群が作者不詳というのは、不思議な気がします。