#537 大分・宮崎の旅・・・その②

f537初日の「石仏観光」が終了したのが午後4時過ぎ。宿は宮崎市ですが、隣県なのでものの小一時間もあれば到着すると思いきや、ガイドさん曰く「何言うとんですか。ここから3時間はたっぷりかかります!」と言われ、どっと疲れがでました。

しかし地図をみると、確かに宮崎市は宮崎県の南方に位置し、ざっくりですが、弊社から八幡浜港くらいまでの距離があります。果たして宿にチェックインしたのは7時半を回り、かなり遅めの夕食となりました。宮崎への一泊旅行となると、長時間のバス移動はやむを得ません。

 

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青島神社からの眺め

翌朝は、早起きしてフロントご推薦の「青島神社」までのウォーキング。残念ながら曇り空で、日の出を拝むことはできませんでしたが、1時間程の散歩は爽快でした。青島神社といえば、古事記にでてくる「海幸彦と山幸彦」神話の舞台として有名です(と言いながら知りません(恥))。ただタイトルは聞いたことがあっても、恥ずかしながらその内容は全然思い出せませんので、少し調べてみました。兄の海幸彦は海での釣りが、そして弟の山幸彦は山での狩りが得意です。あるとき山幸彦たっての希望で、お互いの道具を交換したところ、山幸彦は兄の大切な「釣り針」無くしてしまい、それを捜しにいく物語です。民話「浦島太郎」の原作もこの海幸山幸物語です。

鵜戸神宮

鵜戸神宮からの眺め

次の目的地は日南市にある「鵜戸(うど)神宮」。「海幸彦と山幸彦」の話の続きですが、山幸彦は兄の大切な「釣り針」を捜しに龍宮に向かうことになります。そこで海神の娘である美人の豊玉姫命(とよたまひめのみこと)と出会い契を結びます。やがて山幸彦は、皆の協力のもと、無事釣り針を見つけだすことができ、陸に戻ります。その後、山幸彦の子を身ごもっていた豊玉姫が出産のために陸にやってきますが、その出産のための産屋が、今は鵜戸神宮本殿の建つ洞と言われています。ただ鵜の羽を用いた産屋は、その完成が出産に間に合わなかったため、生まれた子は鵜葺屋葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と名付けられます。そして現在、鵜戸神宮はこの鵜葺屋葺不合命を祀っています。

鵜葺屋葺不合命は成長すると、豊玉姫命の妹である玉依姫を妻とし、ふたりの間に生まれた子供の一人が、後の神武天皇となります。ガイドさんの話に「ふんふん」と頷きながら、「ここまできたら鹿児島は目と鼻の先、ついでに桜島も見て帰りますか?」と尋ねたところ、「あんた、何言いよんな。桜島はここから3時間かかります!」とピシャリ。その後鵜戸神宮を後にし、最終目的地である清武町の「うどん茶房ふなや」に向かいました。

大将のお名前が船ヶ山(ふなやま)なので屋号は「ふなや」です。うどんに対する熱い情熱をもった大将で、宮崎から頻繁にさぬきうどん巡りにやってこられます。大将との出会いは思い出せませんが、綾部市の竹松うどんさんも、お互いにご存知なので、きっかけはうどん屋さん同士のネットワークであったと推察します。それにしてもさぬき以外の地において、こうやって独自ローカルブランドを築きご活躍なさっているお姿を拝見していると、元気をいただきます。こういったローカルブランドの蓄積が、地方創生・活性化の源になるはずです。

釜揚げ

釜揚げ

冷やしぶっかけ

冷やしぶっかけ

ざる

ざる

ふなやのうどんを堪能した後は、ひたすら来た道を戻り、帰宅の途につきました。到着は8時を回り全員くたくたでしたが、我々はただバスに乗っているだけです。長時間に亘り安全運転を励行していただいた運転手さんには、厚くお礼申し上げます。そして今年も一泊の社内旅行を無事終了することができ、また来年に向かっての力が湧いてきました。

うどん茶房ふなや

@うどん茶房ふなや