#538 香川県の水事情
讃岐地方は昔から災害が少なく住みやすい地域ですが、唯一の例外が干ばつでした。反面、降雨量が少ないために特産品になったものもいくつかあります。今では想像するのが大変ですが、綿・砂糖・塩という、いわゆる「讃岐三白(さぬきさんぱく)」は、かつての香川の特産でしたが、これらはいずれも温暖で雨の少ない気候に適しています。
同様にうどんの原料である小麦も、乾燥した気候の方が適地であると言われています。今から300年ほど前の1713年に出版された「和漢三才図会」全百五巻の小麦の項には、「諸国みなこれあるも、讃州丸亀の産を上とする。」との記述があります。つまり讃岐には、塩、小麦といったうどんの必需品が揃っていたために、うどん産地となったのです。さてイラスト担当者による新着情報をお届けいたします。
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今年の夏も日本各地で猛暑となりました。私もお盆に合わせて一週間ほど帰省しましたが、連日最高気温36度の猛暑日となり、少し動くだけで汗がダラダラと流れてきました。私が生まれる以前の話ですが、昔の香川県は夏になると毎年のように取水制限が実施され、断水も珍しくなかったと聞いています。しかし1974年に香川用水が完成し、高知県の早明浦(さめうら)ダムからの生活用水の供給が始まると、香川県の水事情は劇的に改善され、水不足はほぼ解消されたそうです。
ただ唯一の例外が、1994年の大渇水でした。夜9時以降は断水という厳しい取水制限が何日も続きました。当時、私は幼少でしたので事情がよく飲み込めず、「今日は早めにお風呂に入らなくちゃ」と母が焦っていたことだけを、何故か覚えています。あのときは早明浦ダムも空っぽになり、湖底からは旧大川村役場が出現したことで、観光客が殺到したという話も、後になって知りました。とにかく普段起きないことが起こると、なんでも観光資源になるようです。
干ばつ・渇水が夏の風物詩である香川県ですが、過去に一度だけ、水の怖さを思い知ったことがありました。それは私が中学生のことで、台風23号が香川県を直撃しました。当時、家には私と母の二人でしたが、朝から降り続ける大雨をそれほど気にすることもなく、全くのノーケアでした。しかしいつまで経っても雨は止まず、昼過ぎには、かつて見たことのないほどの雨水が辺り一面に溜まり始めたのです。周りの田んぼや道路、芝生の区別もつかないほどに濁った水が家を覆い囲んでいました。
それもだんだんと厚さを増し、勝手口を開けて確認すると、あと10センチで床下浸水といったところまで来ていました。その後も雨の勢いは衰えることなく、「このままでは本当に浸水するかもしれない」と潔癖症の母はたいそう焦っていました。一方の私はお気楽なのか、不謹慎ながら少しワクワクしていました。残り8センチ、5センチ…本当にもうダメだと思ったとき、ちょうど干潮の時刻と重なり、なんと水が一気に引き始めたではありませんか!母も安堵の表情で、九死に一生を得るとは正にこのことです。水が全て引くと、そこには近くの川にいたとみられる魚が打ち上がっていました。セメントの道路に魚が打ち上がっている姿は何とも面白く、私はしばらく眺めていました。
自宅は間一髪でセーフでしたが、会社の方は海に近いせいか、床下浸水になったそうです。工場では機械が一部浸水して壊れ、倉庫も資材や製品が水に浸かる被害がでましたが、幸いなことに数日後には全て復旧したようです。降水量の少ない香川県でさえ、こういった水害が起こるのですから、気象条件も少しずつ変化しているのかもしれません。それにしてもそう遠くないうちに起きると言われている南海トラフ地震ですが、なんとか回避してほしいものです。