#547 土三寒六常五杯(どさんかんろくじょうごはい)

f547#544では飽和食塩水を利用した塩水の調合方法をご紹介しましたが、圧倒的に有名な口伝は、何と言っても「土三寒六常五杯」。うどんを打つ人なら、必ず一度は聞いたことがあるはずです。これは塩水を調合する場合、「茶碗一杯の塩に対し、夏場は三杯の水、冬場は六杯の水、そして春、秋は、五杯の水で割りなさい」ということです。でもすぐに気づくことですが、現在この通りに調合すると、塩水濃度が濃くなり過ぎます。試しに「土三寒六」がどの位塩辛いのかというと、次のようになります。

いま茶碗一杯100ccとします。純粋の塩である塩化ナトリウムの比重は2.18ですが、実際の食塩は粒状になっているため、粒と粒の隙間に空気が沢山入り、みかけの比重は1.1位です(これを「かさ比重」といいます)。よって茶碗一杯の塩は110gとなり、これを茶碗3杯で割ると、塩水濃度は(110÷410)×100=26.8%となります。この26.8%というのは、飽和食塩水とほぼ同じ濃度です(#544)。さぬきうどんの塩水濃度は、夏季13%、冬季10%が基準なので、これは通常の2倍以上の濃度にもなってしまいます。こんな濃い塩水を使用すると、生地は容易には延びず、渾身の力を込めて打っても、麺台に生地を広げた途端、目の前で縮んでいくのが見えるはずです。

よってどう考えてもおかしいこの口伝をどう解釈すればいいのか考えてみました。そこで現在と昔の塩を比較すると、一番の違いはその純度です。現在は、食卓塩で99.97%、つまりほとんど100%です。また一般に食品用として使用されている「並塩」というざらざらした塩でも97.8%の高純度です。これに対し昭和初期の入浜塩田でかん水をとり、平釜でぐつぐつ煮る方法では、82.3%であったとの記録があります。この塩以外の内訳は、水分10.4%、石膏(硫酸カルシウム)2.76%、苦汁(塩化マグネシウム)2.51%となります。

また「塩の本(松本永光著)」によると(下記画像参照)、明治末期における塩の純度は70%程度と、現在では想像できないくらいの低純度でした。これだけ水分含んでいると、手に取るとぼとぼとした感触でべっとりし、それこそ砂場の砂くらいであったと想像できます。そしてこれが叺(かます)といって、筵(むしろ)を二つ縫い合わせたような袋に入って流通していたわけです。よって「土三寒六常五杯」という口伝が生まれた頃の塩の純度はかなり低く、それには多くの水分が含まれていたと推察できます。

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では、塩の純度が70%と仮定し、これで塩分濃度がどれくらいになるのか計算してみましょう。塩のかさ比重を先程と同じ1.1で計算すると、茶碗一杯(100cc)に含まれる塩は、100×1.1×0.7=77gとなります。これを茶碗3杯(300cc)で割ると、塩水濃度は77÷410×100=18.8%、これを六杯(600g)で溶くと、77÷710=10.8%となります。つまりこの程度の低純度の食塩であれば、土三寒六で調合しても現在の塩加減と対して違わないことがわかります。よって土三寒六の謎の理由は、当時の食塩純度の低さにあったと考えてよいと思います。

ところで全くの余談ですが、水分の多い塩を想像すると、つい「塩を運ぶロバ」というイソップ童話を思い出しました。これは次のような内容です。ある日、塩を背中に背負ったロバが、橋を渡っているとき、あんまり暑いので、ついつい重さに耐えかね、ふらっと川に落ちてしまいます。すると塩が溶けて急に背中が軽くなりました。次の日、ロバの体調を心配した飼い主は、今度は軽い荷物である綿をロバの背に積みました。しかしロバは川に落ちると軽くなると考え、わざと川に落ちます。ところ今度は、綿が水をどんどん吸収して重くなり、ロバが自分の作戦の失敗に気づいたときは手遅れで、溺れてしまうという寓話です。つまり私たちもズルすると最初はうまくいっても、そのうち失敗するという教訓です。