#599 さぬきうどんツーリズム・・・2017年12月22日兵郷製麺所閉店
香川県という県名にはピンとこなくても、讃岐うどんといえば、今や知らない人がいないほどの地域ブランドに成長しました。讃岐うどんにはこれまで3度のブームがあったと言われています(#543)。第1次は、1970年の大阪万博頃、第2次は1988年の瀬戸大橋開通による観光客の増加、そして第3次が2000年頃に始まったうどん店を何軒も食べ歩くうどん屋巡り、所謂「うどんツーリズム」です。ただ同じうどんブームといっても第1・2次はフルサービスのうどん専門店が主役であったのに対し、第3次はセルフうどん店及び製麺所がうどんブームの中心です。
休日ともなると繁盛店の駐車場には県外ナンバーの車が溢れ、長蛇の列ができます。繁盛店の形態は、屋外で麦畑を眺めながら立ち食いするうどん、お昼の1時間だけうどんを食べることができる製麺所、橋のほとりにあるうどん屋さん、製麺所の片隅で食べるうどん、未だにかまどに薪をくべてうどんをゆでるうどん屋さんなど実に多種多様です。うどんツーリズムにこられるみなさんは、単にコシのあるうどんや美味しいうどんを求めているだけでなく、このような意外性もしくは非日常性を体験するためにうどん店を渡り歩きます。
ところで香川県のうどん店の数はどのように推移しているかご存知でしょうか。うどんブームを追い風に増えていると思うかも知れませんが、実際は減少し続けています。1960年代には3500店あったと言われる店数は、979店(1986年)→852店(2003年)→808店(2012年1月)→694店(2013年12月)と大きく減少しました(#432)。全体としてはうどんの消費が増えているにも拘らず、減少している主たる理由はうどん店の大型化です。
昔は、現在のようなうどん店はほとんどなく、大抵が製麺所併設の店舗でした。店舗といっても製麺所の片隅に置かれた小さなテーブルと数脚の椅子だけです。また製麺機もない時代なのでうどんは手打ち、よって提供できる玉数も限定的でした。そしてうどんブームが進むに連れて、うどん専門店に特化したお店が増え、店舗自体の大型化も進みます。店舗が大型化すると、効率化が進み、より安価なうどんを提供できるようになります。更には2店目、3店目と展開していけば一層効率化は進みます。この流れを受けてか、最近の傾向としては、複数店舗を構えるうどん店が目立つようになりました。
しかしその反面、特徴ある家族経営のうどん店が廃業するケースも目立つようになりました。弊社のある坂出市内に限っても、2010年10月には彦江製麺所が、そして2013年5月には上原製麺所といった老舗の製麺所が惜しまれながら相次いで廃業しました。そして明日2017年12月22日には60年以上続いた兵郷(ひょうごう)製麺所も閉店します(当初は、兵郷屋という屋号で親しまれていました)。こういった一連の流れをみていると、さぬきうどんの多様性が徐々に失われつつあるような気がして残念でなりません。
県外からうどんツーリズムにやってくる観光客たちは、いくらうどんが美味しくても、系列店をはしごされることはないと思います。意外性や新鮮な体験がないからです。観光客が求めるのは、金太郎飴のようなうどん店ではなく、個性のある唯一無二のうどん店です。さぬきうどんブームを持続させるには、さぬきうどんの多様性を如何に持続させ、更に拡げていくかがポイントになると考えます。うどん店も常に新陳代謝をして、時代に応じて変化していきます。幸い意欲に富んだ、大将も次々に登場しています。その大将たちに対する期待は否が応でも高まります。