#607 北海道ラーメンの歴史

f607北海道は、国産小麦90万tの内60万tを生産する日本最大の穀倉地帯であるせいか、地元にも素晴らしい製粉会社がいくつもあります。今回はその中のひとつ、横山製粉株式会社様より「北海道の粉食文化について」という興味深いお話を拝聴しましたので、簡単にまとめてみました。昔は蝦夷地と呼ばれていた地は、1869(明治2)年8月15日に「北海道」と命名され、2018(平成30)年はちょうど節目の150年目にあたります。名付け親は、探検家の松浦武四郎。彼は、「北加伊道」「日高見道」「海北道」「海島道」「東北道」「千島道」の6案を新名称の候補として明治政府に提案し、最終的に「北加伊道」の「加伊」が「海」となり北海道が誕生しました。

さて北海道といえば何と言ってもラーメンです。北海道は、寒冷な気候であるため、コクがあり濃い味のラーメンが、戦後急速に北海道民の食生活に浸透したと言われています。今やラーメンは北海道の観光資源としても外せない存在となりました。ラーメン御三家といえば①札幌ラーメン②旭川ラーメン③函館ラーメンが定番で、それに④釧路ラーメン⑤室蘭ラーメンが続きます。以下簡単にそれぞれの特徴をまとめてみました。

f607_3①札幌ラーメン
麺は多加水熟成縮れ麺の太麺、そして味噌味が特徴です。大正11(1922)年、北海道大学正門前にあった中国料理店「竹家(たけや)」の麺料理「肉絲(ルースー)麺」の料理名が覚えてもらえず、それを「ラーメン」と名づけて定着したと言われています(当時、東京では「中華そば」や「支那そば」が一般的)。戦後は薄野にラーメン屋台が次々と誕生します。誰もが知っている「龍鳳」や「だるま軒」といった有名処も、元は屋台出身です。

1960年頃までの札幌ラーメンは醤油ラーメンが主流でした。しかし1955年に「味の三平」が味噌ラーメンを、また同じ頃西山製麺が味噌ラーメンに合う「多加水熟成麺」が開発し、これが現在の札幌ラーメンとなります。1963年には「味の三平」と「熊さんラーメン」が正式に味噌ラーメンを定番メニューに加えることで他店でも採用され始め、現在の札幌ラーメンとしての「味噌ラーメン」が定着しました。現在、札幌市内には今では1000店以上のラーメン店があると言われています。

②旭川ラーメン
麺は低加水縮れ麺の中細麺、そして味は醤油味。昭和8(1933)年、札幌ラーメンの「竹家」が旭川に出店。同じ頃、「八条はま長(ちょう)」というそば屋でラーメンがメニューに登場。昭和22(1947)年、「蜂屋(はちや)」、「青葉」が操業し、現在の旭川ラーメンの基礎が築き、その後創業した「特一番」や「天金」が更に発展させます。

③函館ラーメン
麺はストレート麺の細麺、そして味は塩味。明治17(1884)年の「函館新聞」に「南京御料理・養和軒アヨン」が「南京そば十五銭」の広告を掲載しました。これが函館ラーメンのルーツかどうかは不明ですが、いずれにしても歴史は一番古いようです。

④釧路ラーメン(醤油味)
大正時代、横浜からきた料理人が支那そばを持ち込んだのが原点。当初はこってり味だったのが、その後あっさり醤油味に改良。北洋漁業全盛期には、屋台ラーメン組合が発足し、漁船が戻る時刻には、岸壁を屋台が埋め尽くしたと言われています。

⑤室蘭ラーメン(カレー味)
鉄の街・室蘭はカレーラーメン。室蘭管内でのカレーラーメン発祥の店は、「味の大王・室蘭本店」。1972年にメニューに加えられ、室蘭カレーラーメンの名で親しまれています。

最後に北海道の小麦生産について簡単にまとめておきます。北海道には14振興局(行政区画)ありますが、その内最北の宗谷を除く13振興局で小麦は栽培されています。特にオホーツク(28,900ha)、十勝(44,100ha)が大生産地です。松前と江差の物産をまとめた『東遊記』(1784年、天明4年)には「土地寒クシテ霜霧早ク振ル故、稲ハ稔ラズ大麦小麦アリ」と記されていて、これが北海道における小麦生産の起源とされています。尚、小麦の栽培面積と収量の推移は次のようになっています。

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