#656 小麦の起源③
これらの根拠を積み上げると私たちは図(下部イラスト参照)で示したような小麦伝播を確信するに至ります。つまり穀物栽培の起源は、シリア・パレスチナ地域(地中海東岸)で始まったアインコーンまたはエンマーであるか、もしくはもう少し北のアナトリア断層塊南側の山すそあたりで、アインコーンの栽培が始まり、その後短期間の内にシリア・パレスチナのエンマーに切り替わったかのいずれかでしょう。そしてエンマー小麦はそこから2つの方向に向かって普及します。ひとつはパレスチナからエジプトへと南下し、もう一つはメソポタミア北部(高地で栽培されていたアインコーンと一緒に)からイランに到達し、そこで何らかの方法でパン小麦が交配されます。そしてパン小麦はイランを起点として、メソポタミア南部、インド、ロシア・トルキスタン(更に中国へ)、そして南ロシアなど全ての方面に拡がっていきました。
ヨーロッパには、紀元前3,000頃かもう少し早くに、トロイ経由でアインコーン小麦が最初に入ってきました。アインコーンはドナウ川流域および西ヨーロッパまで到達し、ライン川には紀元前2,700年頃、そしてデンマークにはそれより少し遅れて到着します。エンマー小麦が最初に西ヨーロッパに入ったのは、地中海経由のイタリアやスペインですが、これは主として銅やすずを取り扱っていた商人達によってもたらされました。その後、海岸沿いを伝って北上し、紀元前2,300年頃、デンマークに到達します。「クラブ小麦」や「普通小麦」といったいわゆるパン小麦、つまり近代の主要な小麦は紀元前2,100年頃に南ロシア経由でヨーロッパに入り普及しました。
パン小麦はヨーロッパに農業をもたらしたのではなく、それまで既に耕作されていた小麦の改良型として導入されました。ただパン小麦の栽培には、従来より、畑を深く掘り起こす必要があり、性能のよいすきが必要だったし、また動物性肥料も必要であるため、どの時点で新品種に切り替わったのかは、はっきりとはしません。パン小麦は人類が創り出した小麦なので、人手なしには育ちません。しかしその反面、野生小麦とは全く異なる気候でも育つことができます。ナイル川やチグリス・ユーフラテス川流域で小麦の栽培が始まるまでは、古代の小麦というのは、どれも乾燥した温暖な気候で、どちらかといえば痩せた土壌が適していました。しかし今日の小麦の最適な栽培条件は、肥沃な土壌、長くて冷たい冬、そして適度な降水量であるし、またその一方で、収穫時は暖かく乾燥した方がタンパク含量が増えてよく熟します。
農耕が始まって以来ずっと注目を浴び続けてきた小麦は、これまでに驚くべき変化性を見せてきました。ジョン・パーシヴァル(John Percival)は「小麦植物」という権威ある大著を著しましたが、その中にはおよそ2,000種類の小麦が取り上げられていて、そのうちの65%が「普通小麦」です。「普通小麦」は最も暖かい3ヶ月の平均気温が14℃以上なら生育することができるため、この小麦なくして我々の祖先は赤道での採集生活から離れることはできず、よってアメリカ大陸発見もなかったはずです。
16世紀に始まった大航海時代には、ヨーロッパ人はほとんど例外なくこの「普通小麦」を携え、地球上のいく先々で同じように普及させました。マカロニ用のデュラム小麦は、19世紀も終盤になってようやく南ロシアからアメリカに伝播します。現在のアメリカ大陸では、この「普通小麦」とデュラム小麦を除けば、大規模に耕作されているのは「クラブ小麦」だけです。
【シリア・パレスチナから広まった小麦伝播】
耕作の始まりは紀元前7,000年頃で、太線の円で二箇所示している。近東およびヨーロッパにおける紀元前2,000年までの経路のうち、重要なものだけを示してある。イラン中央部が小麦伝播の中心であり、ドナウ川流域がその次の中心地になったことに注目。