#680 2019岡山・兵庫の旅
2019年の社内旅行は、8月23-24日の二日間、隣県の岡山県、そして更に隣の兵庫県にいって参りました。いつも一泊なので行動範囲は限られます。よってめぼしい観光地は、大方行き尽くしたのかとも思いきや、まだまだ知らないところだらけです。特に閑谷(しずたに)学校は、いつも高速を通る度に、案内板を目にしますが、未だ行ったことがなく、今回ようやく実現しました。修学旅行の生徒のように、いく先々で「うんうん」とうなずきながら見聞を広めて参りました。
①旧閑谷学校(旧しずたに学校)
閑谷学校は、現存する世界最古の庶民のための公立学校です。今から350年前の江戸時代前期の寛文10年(1670年)に、岡山藩主・池田光政により創建されました。光政は、閑谷の地を訪れたとき、「山水静閑、宜しく読書講学すべき地」と称賛し、地方のリーダーを養成する学校の設立を決めました。光政は、国を支えるのは「人」、そして良き人材を輩出するためには教育は不可欠と考えました。ガイドさんの話によると、各村から選りすぐりの子供が選抜され、毎日朝6時から夜10時まで、途中2時間の休憩をはさみ、授業が続いたそうです。子ども達は、優秀であるのに加え、各村の厳しい財政状況を承知しているので、極めて勤勉に勉学に励んだそうです。
山の斜面を切り開いた敷地は、高さ2m、全長765mの石塀に囲まれています。石を隙間なく組合せ、上部がかまぼこ型の見事な石塀は、350年経った今も昔と変わらず、独特の景観を生み出しています。閑谷学校の校門である鶴鳴門(かくめいもん)から孔子像が祀られている聖廟(せいびょう)の方角は、真北を指しているというので、スマホのコンパスをみると確かにその通りでした。聖廟前にある2本の楷の木は、秋になるときれいに紅葉します。そして講堂の内室にある10本の欅の丸柱は、備前焼の重い瓦屋根をしっかりと支えています。ちょうどその日も、内室では講堂学習が行われていて、ハキハキとした声が飛び交っていました。
②生野銀山(いくのぎんざん)
兵庫の山奥にある生野銀山は、なんと今から1,200年前の大同2年(807)に発見されたといいます。弘法大師空海が、唐よりうどんの製法を持ち帰ったという空海伝説が大同元年(806)なので、ちょうどその頃です。しかし銀鉱山としての本格的な採掘が始まるのは、室町年間の天文11年(1542)以降になります。その後、織田・豊臣の時代を経て、江戸時代になると幕府が「銀山奉行」を設置し、「生野代官」が置かれ、最盛期を迎えます。そして国内有数の大鉱山として稼行しますが、昭和48年に閉山し、長い歴史に幕を閉じます。
ガイドさんに案内してもらった坑道内は、気温13度と夏場でもひんやりとして、吹きつける風は、涼しいというより冷たく感じます。旧坑道には、ノミ跡も生々しい堀り跡が残り、当時の採掘作業の過酷さがひしひしと伝わってきます。当時の作業は、3~4時間が限度。展示室にある坑道内のミニチュア模型は、まるで蟻の巣のようです。近年になると機械化進み、最終的には坑道の総延長は350km、地下880mにも達します。ただかつては多くあった日本の鉱山も次々と廃鉱となり、現存するのは鹿児島県北部にある菱刈鉱山のみとなりました(ここの金鉱石の金含有率は非常に高いそうです)。
③陶芸体験@備前焼工房・夢幻庵
最後は、夢幻庵という備前焼工房で、備前焼を体験しました。先生が説明する捏ね方を、「ふんふん」とうなずきながら、用意された粘土を捏ねて、成型していきます。先生の作業を眺めていると、いとも簡単にできそうな気がします。しかしいくら真剣に、カップを目指しながら捏ね始めても、知らないうちにお皿や奇妙な形の器になってしまいます。「あ、そこ、そんなに薄くなると破れますよ!」と注意されても、こっちもそうしようと思ってやっている訳ではありません。悪戦苦闘しながら、曲がりなりにもなんとか完成。後は先生が仕上げて、焼き上がると、後日送ってくれるので、今から楽しみです。みなさんも機会があれば、是非一度どうぞ。
雨の姫路城