#693 小麦製粉が始まる以前の時代・・・②パンの発明
この簡単な粉砕作業は、顎や歯の負担を軽減するだけでなく、少ない労力でより多くの栄養を摂取できるという利点がありました。ひと握りの穀物を石で砕いた後、細切れになった粗い殻の部分をつまんで払いのけてみると、それまでより味はずっと良くなりました。これは素晴らしい発見でした。こうやって不要な殻の破片を取り除く作業は、粉砕作業と同じくらい大切であることがわかり、この選別作業は更に改良されます。
粉砕された小麦は、ひとつ一つ選別、もしくは指を少し広げて手のひらでふるうこともできました。粗い破片については、再度細かく砕くか、もしくはあまり実がついてないようだとそのまま捨てました。また空中に軽く放り上げ、軽い殻の部分をふるい落とし、栄養たっぷりの実の中心部分と分離する方法も考えつきます。そしてそれから永い年月が経過し、ようやく最初の「篩(ふるい)」が考案されました。それは動物の皮を延ばして穴をあけたものとか、藁(わら)でぶかぶかに編んだ籠(かご)でした。
小麦を砕き、そこから不要な部分を取り除くという二つの基本的な作業、これが現在の小麦製粉の原型です。そしてこの二つの作業は、大昔から現在まで、ずっと製粉の基本的な工程であり続けてきたし、現在においてもそれは変わりません。そして時代と共に道具を改良し続け、また新しい技術を考案しながら、これらの基本的な作業を改良し続けてきた歴史が小麦製粉の歴史です。
人類の歴史を通じ、途切れずにその発展を辿ることができる「糸」は、製粉産業以外にありません。また文明の発達過程とこれほど密接に因果関係のある産業も、他には見当たりません。ボウルに入っている一山の純粋で真っ白な小麦粉の系譜を、旧石器時代から現在まで辿るということは、それはすなわち人類がこれまで成し遂げた最も重要な事柄、つまり人類の存続の物語を辿っていることに他なりません。それは簡単にいうと私たちがどのようにして日々のパンを獲得してきたか、そしてより品質の良いパンを潤沢にかつ安定的に手に入れることができるよう、自然に対して追い求めてきた物語でもあります。
穀物を砕いてふるいにかける技術が、人類最大の発明だとすると、パンの登場はその次にくる偉大な発明です。パンが発明(発見?)されたとき、この時代の男達はまだ獲物を追って原野を歩き回っていたはずで、その進歩のたいまつを運んできたのは間違いなく女性です。きっと誰かが偶然に、穀物をただ粉砕しただけよりも、それを湿らせて食べた方が、味がよくなることに気づいたのでしょう。そのうちに湿らせたものを、熱した石の上に広げてみると、良い匂いがして味もよくなりました。そしてそのうち、誰かが不注意にもその塊を火の近くに長く置きすぎたのでしょう。すると平らで硬いけれど、食味のよい焼きパンができあがりました。これがパンの誕生です。
人類初めてのパンは図(左端)のように、一見みすぼらしい格好をしています。外は硬く、中は生焼けで、黒くて、膨らまずに、薄くて、貧弱で、ちょっと焦げていて、麦の殻についていたほこりや石や砂がたっぷりとついた、小麦粉というよりかなり濃いめの粗挽き粉からできた、現在の発酵パンとは似ても似つかない代物でした。しかしこれら初期のパンは(そう呼べるかどうかは別にして)、不細工で地味ですが、先人たちの辛抱強いそして絶え間ない努力の象徴です。それは人類が苦心して作った最初の加工食品なのです。そして採集、粉砕、ふるい分け、そして焼成といった一連の作業の最終形です。その後、人類は更に苦労を重ね、その小麦が栽培できるように品種改良を重ねていきます。