#695 小麦製粉が始まる以前の時代・・・③小麦の耕作

当時は、絶えず移動し続けている人たちというのは、ほとんどいません。最も初期の狩猟者である類人猿でさえ、帰るほら穴、嵐を避ける避難場所、また防風設備を備えた家らしきものがありました。しかし狩猟者である限りは、歩き続けなければなりません。そして力のある少数の狩猟者だけが、動物たちが繁殖する前に取ってしまうので、その地域からは獲物がたちまちにいなくなってしまいます。

よっていつでもパンが食べられる小麦の備蓄は、その内に肉食生活者にとっては欠かすことのできない代替食となり、大いに重宝されるようになります。そして小麦のお陰で、定住生活を営むことができるようになりました。家族は、慣れ親しんだ、居心地の良い、匂いの染みついた隠れ場をすぐに離れる必要はなくなり、その結果新しい住み家や狩猟場を捜し求めて冒険にでかける必要もなくなりました。

人類はこのような食糧の調達方法が、その手間の煩わしさにもかかわらず、それ以上に価値あるものであることがわかったのです。そのうちに何処かで誰かが、野生の小麦の世話を始めるようになります。それは男性といいたいところですが、ここでもやはり再び女性の手によって栽培されたと推測されます。というのは男達が猟にでている間、女性たちは育てている小麦の周りをきれいに刈り取り、また鳥や動物、更には他の種族の略奪者からその小麦を守ったのです。

小麦の栽培を始めた初期の頃、栽培者たちはほとんどの時間を、ただ見張りをして、じっと待ち、そして略奪者から守ることに専念していれば充分でした。ところがそうこうする内に、ある問題が起こり、それはどんどん大きくなり、誰も想像できないくらい不可解なものになります。一生懸命に手入れをしたにも拘わらず、ときどき実の生りの悪いもの、もしくは全然生らないこともありました。何が悪いのかその原因を模索し、また自然界のどんな不可解な力が作用しているのか、それを発見しようとも試みました。

野生の小麦の手入れをし、収穫して再びその種を植える。それを繰り返すうちに、その年の収穫高と次の年の未熟な成長との食い違いに気づく者が現れます。真新しい土地に何度も種を蒔いていると、だんだんと土地がやせ衰えてくるので、そうするとまた別の切り開いた土地に出向いて種を蒔くようになります。ここに単年度を越えた「将来計画」という概念が生まれ、肥沃な土地についての目利きができるようになってきます。これが遊牧農業の第一歩です。そこでは土地が痩せてくるにつれ、小さな作業チームが新しい可能性のある土地を捜し求めにでかけます。そして最終的には、風で体積された肥沃な黄土を追い求めて、大陸横断規模の移住にまで発展するようになります。

一歩一歩、そしてつまずきながら進歩を続けます。そして単に元からある土壌だけに頼るのではなく、一緒に遊牧する家畜からできる動物肥料の施肥による、土壌改善なども含めた用意周到な準備がおこなわれるようになります。初めは土を掘り返す「こん棒」、つまり単純な「くわ」しかなかったものが、家畜を利用した様々な「すき」を使うようになりました。人手に頼っていたものが、牛などの家畜を使うようになります。手で引っぱっていた荷物は、車輪に変わりました。文字通りチャンスの環です。

そのうちに人類は野生の種を無差別に植え付けることは卒業し、一番良い品種を考えながら選択するようになります。すなわちこれが栽培化された品種の考え方です。そして排水設備や灌漑を利用して人工的に肥沃な土地を作り出し、耕作を始めるようになります。これによって今までは自然に繁茂していた地域だけでなく、栽培に不適だった土地でも耕作することが可能になり、耕作範囲が更に広がっていくようになります。