#707 製粉用道具の登場③・・・サドルストーンと段階式製粉方法
本格的なサドルストーンの登場はエジプトの第3王朝時代(紀元前三千年紀頃)になります。このサドルストーンが「肥沃な三日月地帯」以外の地域に普及したかどうか、その詳細はわかっていません。しかしカーウェンによると、紀元前三千年紀終盤頃から活躍していた巨石建造者達の痕跡が発見されているので、サドルストーンは当時、彼らによって西ヨーロッパ沿岸地域にエンマー小麦と一緒に、拡がったと考えられています。またアメリカ南西部においても、立派なメタテーが存在しましたが、これは少なくとも同時期、あるいは旧世界のサドルストーンよりも更に何世紀も早かったようです。
代表的なサドルストーンを紹介します(右図)。A:エジプト(紀元前三千年紀)。B:同時期のインダス川流域のモヘンジョダロ。C:同時期のアナトリアのアリシャール。D:キプロス(紀元前二千年紀)。E:地中海東部のデロス(紀元前千年紀初め)。FとG:イングランドのグラストンベリー・レイクビレッジ(紀元前千年紀)。H:12世紀初めからのアリゾナ・フラッグスタッフにおけるメタテー(断面図)の進展。右端が一番新しい。
穀物の処理方法が向上するに連れ、サドルストーンも次第に完成されていきます。道具類も動きがだんだん滑らかになり、粉砕がし易くなるように原料を予め下準備をするのが習慣となりました。びっくりするかも知れませんが、穀物と砂を一緒に混ぜ、後で篩い分ける方法もありました。また何世紀も後のローマで主流となった天日乾燥、そしてエジプトでは、釜に入れゆっくりと加熱し乾燥することもありました。乾燥させた穀物は保存が容易で、粉砕するにも都合がよかったようです。
ベネットとエルトンは、20世紀初頭スコットランド西方諸島で行われていたグラダン方式について言及していますが、これは殻がついたまま火で炙り、表面の殻を取り除く方法です。そしてプライニーによると、ローマ人達もこれと同じ方法を実践していました。また他にも、小麦を釜の中で炒る、もしくは熱した石の上に小麦を広げて殻を取り除くバースティン方式というのもあります。多くのアメリカ・インディアンは同様にトウモロコシの表面だけを焼いていました。また旧世界やアメリカでは、逆に挽く前に小麦をよく湿らせていましたが、これがその後発展し、現代製粉の「調質(ちょうしつ)工程」となります。
現在は、粉砕されたばかりの小麦のことを「チョップ(chop)」とよんでいますが、このチョップの調整がだんだんと上手になってくると、その内に表皮と小麦粉を分ける篩が発明されます。プライニーによるとエジプトではパピルスやイグサでできた様々な種類の篩が広範囲に利用され、古代ガリア人は馬の毛でできた篩を、そしてスペイン人は亜麻製の篩を使用しました。とりわけローマでは、異なる篩を利用して3種類の小麦粉を取りわけましたが、その篩技術がどれ程のものだったのかは現在では不明です。ただローマ帝国滅亡後、西洋においてはこの篩技術は何世紀にもわたり、忘れ去られてしまったようです。
現在の製粉方法は、「段階式製粉方法」といいますが、これは粉砕と篩分けを何度も繰り返し行い、最終製品である小麦粉に仕上げる方法です。この方法が始められたのは実はかなり古い時代のことです。エジプトの墓石にはその様子が次のように描かれています。穀物は最初、搗臼で粗砕きされた後、篩にかけられ、その後サドルストーンで更に細かく挽かれて、再度篩にかけられます。またアメリカ南西部においても多くのインディアンが、篩分けこそしないものの、複数のメタテーを使い分け、穀物を粗いものからだんだんと細かく挽いていました。