#709 麵の文化史・麵のふるさと中国①・・・餅(ビン)は小麦粉製品
「麵の文化史(石毛直道著、2006年、講談社刊)」は、そのタイトル通り世界中の麵の歴史を網羅し、興味深い話題満載です。世界最古の麵がどこからどうやってやってきたのかとても気になりますが、その歴史となると、素人では手に負えず、どうしても専門家のお仕事に頼らざるを得ません。ここでは自分への整理も兼ね、気になった部分だけを独断で抜き出し、まとめてみました。尚、本の内容と感想とを明確に区別するために、最初に掲載内容を要約し、その後気づいた点を簡単にまとめます。
【①回転式石臼によるコムギの製粉】
黄河と淮河(わいが)の流域をむすぶ華北平野は、漢代以降の中国におけるコムギの主産地です。コムギ粉を使用した様々な製麺法は、この地域で発展しました。しかし早期新石器時代(BC4,000頃)における華北平野の主作物はアワでした。よって当時の遺跡からサドルストーン(すり臼)が発見されますが、これでアワを挽いていたと考えられています。ただこのサドルストーンは、日本には伝来しませんでした。
華北平野でコムギの栽培が本格化するのは前漢時代(BC206-8)になってからです。河北省邯鄲(かんたん)にある戦国時代(BC403-BC221)の遺跡からは、回転式石臼が発見され、その次の秦代から前漢へと経過するにつれ、発見例は多くなります。そしてこれら回転式石臼はコムギの製粉に使用されます。このコムギの粉食文化(コムギ栽培技術と回転式石臼のセット)は、西方よりシルクロードを通り、戦国時代の中国に伝わり、漢代になって普及したようです。
【②麵(ミエン)と餅(ビン)】
中国では、本来は「麵(ミエン)= コムギ粉」、「麵条(ミエンテイアオ)= コムギ粉を細長く加工した食品」を意味します。しかし現在は「麵=麵条」の意味で使用することも多く、この場合、日本語の麵と同じ意味になります。また日本語の餅(もち)は、モチゴメを臼でついた食品のことですが、中国語の「餅(ビン)」は、コムギ粉を原料として作った食品を指します。混乱を避けるために、以後「麵」は日本の麵と同じ意味と考えます。
現代中国の百科事典「辞海」による「餅(ビン)」の説明は、「古代中国では、コムギ粉で作った食品を全て餅と呼んだ。そして現在は、月餅(ユエビン)や焼餅(シャオビン)のような扁円形をしたコムギ粉食品のさす」となります。つまり古代中国では、「麵(ミエン)は餅(ビン)の一種」、よって「うどんの仲間(祖先)は、ビンの一種」ということになります。とてもややこしい。
前漢代にできた中国最初の方言辞典『方言』及び字書『急就編(きゅうしゅうへん)』に「餅」の文字が現れます。つまり紀元前後には、コムギ粉食品がよく食べられるようになり、文字まで作られたことがわかります。また後漢(25-220)の終わり頃の字書『釈名(しゃくみょう)』には、「餅は并(へい)である。麵をこねて合并(がっぺい)させるのである」とあります。つまり「餅」は、コムギ粉に水を加えて、練って、かたちづくった食品のことです。
【気づいたこと】
エジプトでサドルストーンが本格化するのが、第3王朝時代の紀元前三千年紀頃です(#705)。また同時期もしくはその前には、アメリカ南西部でも立派なメタテーが出回るようになっていたので、サドルストーンは、世界の各地で独立して発生したようです。一方、回転式石臼は、ギリシアで発明され、世界各地に伝播しました。回転式石臼は、ちっとやそっとでは発明できず、最初に考案された方は天才に違いありません。
言葉は時代と共に意味が変化するのでやっかいです。麵(ミエン)は、古代中国では、コムギ粉を意味しましたが、現在では日本と同じ意味になりました。また餅(もち)は、モチゴメ食品ですが、古代中国の餅(ビン)は、コムギ粉食品全般、そして現代の中国では、我々の感覚に近い扁円形のコムギコ食品となります。同じ言葉でも、意味が異なるのでとてもややこしくなります。