#711 麵の文化史・麵のふるさと中国②・・・餛飩(こんとん)がうどんの語源か?
【③餅の分類】
中国の食べ物や飲酒の研究分野で大きな功績を残した、中国古典文芸の大家である青木正児(まさる)博士は、「餅」を次のように分類しました:
1.蒸餅(ツエビン)・・・饅頭のようにセイロで蒸したもの
2.焼餅(サオビン)・・・鍋で焼きつけたり直火であぶったりしたもの
3.油餅(イウビン)・・・油揚げに食品
4.湯餅(タンピン)・・・ゆでたりスープで煮たりしたコムギ粉食品
『釈名』には、上記の蒸餅、焼餅、湯餅といった言葉が登場するので、2世紀初頭には、コムギ粉食品の様々な調理方法が、発達していたことがわかります(「油餅」は青木氏が命名)。その後、湯餅が麵類に発達し、麵類は、更に「麵片(ミエンビエン)」と「麵条(ミエンテイアオ)」に分類されます。前者は、ぎょうざ、わんたんの皮のように、平に延ばした生地を使用した食品、後者はひも状に伸ばしてゆでる食品です。
【④麵片小史】
麵片は、更に「平たく延ばしたコムギ粉生地を、そのままゆでたり、煮たりして食べるもの」と「それで餡をくるんで料理するもの」の2つに分類されます。代表的な麵片に、棋士麵(きしめん)と餛飩(こんとん)があります。棋士麵は、6世紀中頃の『斉民要術(せいみんようじゅつ)』に初出しますが、これはコムギ粉生地を延ばして、刃物で裁断し、将棋の駒の形をした生地を、蒸して乾燥させたもの。使用時は、ゆでてから肉のスープを注いで食べます。棋士麵と「名古屋のきしめん」との関係については色々論じられていますが、本当のところはよくわかりません。麵片のなかで、薄く延ばした生地に肉、魚、野菜などの餡を包んで、煮たものを、華北では「餛飩(ホウントン)」、広東省では、「雲呑(ワンタン)」といいます。明治以降、日本で開業した中国人は、広東人が多かったので、「わんたん」という言葉が定着しました。
【⑤餛飩が「うどん」の語源(青木博士説)】
『江家次第(ごうけしだい)』は、11世紀初めに書かれた宮中行事を記録した文献で、元旦の宴会についてのべている箇所に、「索餅(さくべい)」と「饂飩」という文字が登場します。うどんらしい言葉が、日本の記録に登場するのは、これが最初。「饂(うん)」は、日本人がつくった文字、つまり国字です。そして当時の饂飩は、現在のうどんと同じ食品ではなく、コムギ粉の皮の中に餡を詰めた中国の餛飩のような食品であった可能性が高いと考えられます。
後の室町時代になると、餛飩、饂飩といった文字で、「うどん」、「うんどん」、「うとん」と読ませる例が現れますが、この頃になると、今の麺類にあたる食品をさすことに間違いないようです。中国では餛飩のことを、餫飩とも表記しましたが、餫という文字は、音読みで「こん」あるいは「うん」といいます。そこで、餛飩を「うんどん」と日本人が読むようになり、後には麺類の名称になったのだろうというのが、青木正児説です。
【気づいたこと】モノには名前がないと呼べないし、逆に名前があるということは、そのモノが存在するということです。そういう意味で、『釈名』に、蒸餅、焼餅、湯餅といった言葉が登場することから、2世紀初頭には、コムギ粉食品の様々な調理方法が、発達していたという記述には説得力があります。また「棋士麵」は、6世紀中頃の「斉民要術」に初出しますが、これは名古屋の「きしめん」とは関係がないと、石毛先生は結論付けています。そして青木先生によると「餛飩」がうどんの起源となります。つまり餛飩(こんとん)⇒餫飩(こんとん、うんとん)⇒饂飩(うんどん)となります。しかし似たような文字がいくつも登場するのでややこしいですね。