#729 古代オリエントにおける麦作⑤・・・エジプトでの麦作風景その2

前回は、エジプトでの麦作についての概略を紹介しましたが、ここでは、その壁画の内容を詳しく説明します。元来エジプトの土壌は、柔らかく肥沃ですが、川が氾濫した直後は特にそうです。種を播くときは、画像の上から2段目右端にあるように、辺り一面に広く放り投げ、その後は次の3つの方法のいずれかで埋めてやります。一つは(図A)のように簡易型プラウを使う方法です。プラウを操作している男性の左に象形文字は、「プラウを使って覆うこと(大麦を)」を意味し、その上の象形文字は、操作している男が「ほら、ちゃんと前を見て真っすぐ進め」と言っているところです。これは真っ直ぐなあぜ溝を掘らせようとしているに違いありません。

中央は、牽引用の牛からこっそりと乳を搾っている子供です。もしかすると当時の描写手法にありがちな、牛の輪郭を壊したくないために、男性を意図的に小さく描いているのかも知れません。ミルクを搾っている隣では仲間が、「ミルクを隠せ!早くしないと見回りがやってくるぞ!」と叫んでいます。

2番目の方法は、(図C)のように鍬もしくはつるはしを使い、人力で地面を掘り返して種を埋める方法です。この方法は、地面が高くプラウが簡単に操作できないところで使用されます。また3番目の方法は、播種時に土壌がまだぬかるんでいるときは、ロバや牛もしくは、(図D)のように羊の群れに地面を踏みつけさせて種を地面に埋めます。図の先頭の羊は、種を播いている人から餌をもらっていますが、これはきっと群れを先導するためのものでしょう。

播種が終わると、収穫時まで畑での仕事はほとんどなくなり、暇になります。(図E)は大麦の刈り取り風景で、腰の高さで一束をぎゅっと握りしめ、その下を鎌で刈りとります。刈りとった束は足下に、前の束とは逆方向、つまり互い違いにおいて、まとめて縛りやすいように工夫してあります。刈りとる人の列は、左端の管楽器奏者のリズムに合わせて移動し、誰かが「この大麦はいいぞ。今年は豊作だ」などと言っているに違いありません。真ん中辺りに、口に手をあてて止まっている人は、右端のリズムに合ってない人に「おい、若いの、どうした?」と呼びかけているように見えます。それとも単に手につばを「ぺっ」とつけて、気合いを入れているところかも知れません。

(図F)では、刈りとった束は、男の頭にあてがわれ、一箇所に集められそこで積み上げられます。これ以外にも、ロバの背中に束を高く盛り上げ、脱穀場まで運ぶところなど、生き生きと描かれた場面はいくつもあります。刈りとった麦の束は網に入れ、それをロバの背中に放り上げ、うまくバランスを取りながら運びます。しかしロバのような家畜を使っていると、使用者がいくら叱ってもその意図がなかなか伝わらず、だんだん腹が立ってきます。霊廟の碑文には、2,000頭を超えるロバが麦の搬送に使われたとの記述があるので、これからも当時の農耕の規模が推測できます。

村のすぐ外にある脱穀場所に運ばれると、麦の入った網はロバから下ろされ、麦は硬くて平らな地面に広げられます。そして(図G)にあるように、ロバ、ヤギ、牛などの家畜の群れが放たれ、麦を踏みつけます。牛の上にある象形文字は、「もっと麦に近寄れ、牛の群れを中心へ寄せろ」と言っています。

脱穀が終わると、ばらけた麦わらは高く積まれ、崩れないようにパピルスでできた紐で縛ります。そして(図H)にあるように、ここで初めて女性が登場し、籾殻と穀物の粒とをあおぎ分けます。図右ではアシを縛って作った長いほうきを使い、脱穀したものを中心に寄せ集めていますが、これによって軽い籾殻は中心部に盛り上がります。中心にいる女性は、大きなスプーンのような凹んだしゃもじを両手に持ち、その中に粒と籾殻が一緒になったものをすくい取り、空中高く放り上げます。こうすることで軽い籾殻は風に飛ばされ、重い粒だけが真っ直ぐ下に落ちるのです。左の女性は粗い目のふるいを使っているので、粒は下に落ち、大きな籾殻は網の上に残ります。