#733 サドルストーンから石臼へ①・・・紀元前一千年紀に起こった2つの変化
エジプトやメソポタミアにおいては、すり鉢やサドルストーンが何千年にも亘り、使い続けられてきました。サドルストーンは、人間が穀物を上手く消化吸収できるように加工する重要な道具であったにも拘らず、本質的な進歩や改良がなかったことは、意味深い事実です。しかし紀元前一千年紀、つまり紀元前1000年から紀元前1年までの間に、地中海東部において、製粉方法における2つの大きな変化が起こります。この変化は非常に重要であり、その後の人類の新たな発展の始まりとなりました。
一つは粉砕用の代表的な道具であるサドルストーンとラバーの組合せは、一連の改良を経てサイズが大きくなり、動作も良くなったことです。大型化に伴いその操作には力の強い男性が必要となりますが、小麦粉の生産量は大きくアップしました。男性一人が一日働くと、一家族を養う以上の粉が生産できるので、残りは販売もしくは他の物品との交換に使用されました。
ここに製粉は晴れて職業となり、家や神殿の敷地内だけでなく、独立した産業施設においても運営されるようになりました。これは単なる商業製粉としてだけでなく、産業そのものの始まりでもあります。蹴轆轤(けろくろ)(足で蹴ってまわすロクロ)による陶器製造工場の出現も早かったのですが、製粉産業はそれよりも更に早かったことは間違いありません。つまり製粉は人類最古の産業であるのです。
二番目の偉大な技術革新は、旧式の道具による乱雑な往復運動に代わり、連続的な回転運動を粉砕方法に応用した点です。これにより人力だけでなく畜力でさえも、100%有効利用できるようになり、生産量は飛躍的に増大します。往復運動は、人間には可能ですが、牛や馬にはムリです。しかし回転運動であれば、円周上に沿って真っ直ぐ進むだけなので、畜力の利用が可能となります。そして更に有意義な点は、これが契機となり最終的には水力など自然の力を動力として、あらゆる仕事に応用できるようになったことです。
サドルストーンは、それ自体が道具として既に完成された最終型であった故に、改良の余地はほとんどないと思われていました。実際メソポタミアやエジプトにおいては、それを超える発展は成し遂げられず、実務レベルでの技術の進歩はそこで停滞してしまいました。これらの地では創造力が刺激されることはなく、突飛な発想は敬遠され、よって改革の気運は起こりませんでした。改革者として名高いファラオであったイクナートンも改革を試みるも、若くして亡くなった後は、既定路線の信奉者であり、敬虔ではあるが執念深い聖職者達によって埋葬され、改革はすべて撤回されてしまいます。
近代的な思考方法や生活様式への移行は、エジプトではなく、活気に溢れた社会において始まります。それは何一つ不自由ない満たされた環境ではなく、むしろ幾多の困難が存在し、その早急な解決が必要とされる社会においてです。また新しい社会的欲求が次々と発生し、それは創意工夫や建設的な努力によってのみ解決されるような社会環境です。
農業が最初エジプトやメソポタミアに導入された当時は、彼らもそのような能力やヤル気を持ち合わせていたはずです。しかし長期間において停滞した後は、そういった役割は、潜在的可能性を秘めたトロイ、クレタ、フェニキア、エトルリアといった地域、また土壌は浅く、道路はろくに砂利も敷かれていないような小国ギリシアに移ります。そして更に続くのは、砂漠の縁に位置するカルタゴ、それに決して充分とは言えない背後地とみすぼらしい港しかないローマといった具合です。エジプトやメソポタミアでは、改良の余地がないとされていたサドルストーンも、彼らによって生まれ変わります。