#736 サドルストーンから石臼へ③・・・レバーミルの登場
ギリシアの人々によって、サドルストーンは、これ以上改良の余地がないほど粉砕機としては完成された道具となりました。しかし回転式石臼に到達するまでには、まだまだ遠く険しい道のりがあります。あるとき誰かがプッシュミルのレバー(取っ手)の片方を固定することを思いつきました。すると両腕で、固定されてない方のレバーを操作でき、弧を描くような往復運動、つまり弧状運動が可能となりました。これがレバーミル(Lever Mill)の誕生です。
ただこのレバーミルは、上石や下石の形状などいくつかの変更が必要でした。まず粉砕面を水平に戻す必要がありました。次に力を充分に利用できるように、道具全体をテーブルもしくは台に置き、腰の高さに合わせます。すると立ったままレバーを持ち、存分に力を入れてレバーを前後に大きく往復運させることが可能になりました(画像)。その結果、更に大きな石を使用して、一往復でより多くの粉を挽くことができるようになり、生産量は飛躍的に増大しました。もはや旧式のサドルストーンは子供のおもちゃのような存在となりました。
ただこのレバーミルは家庭用としては大き過ぎるため、専用の作業所に設置し、男性によって稼働される業務用産業機械という位置づけの道具です。この頃の商業製粉所では、挽いた粉でそのままパンを焼き、そのパンを商品として販売しましたが、小麦粉自体の販売はしていなかったようです。その理由は、小麦は粒の状態では長期間保存可能ですが、一旦小麦粉にすると余程上手に保存しないと直ぐに劣化するからです。現在の小麦粉は、製粉技術の向上により長期保存が可能ですが、全粒粉タイプの当時の小麦粉は、劣化が早いのが問題でした。当時はなぜ小麦粉が直ぐに劣化するのかその理由がよくわからず、経験則として挽いた小麦粉は直ちに使用するのが習慣でした。
製粉作業は各家庭の一日がかりの日課であり、この習慣は初期のパン屋にも引き継がれます。商業製粉というのは、パンの製造工程における最初の工程として登場しました。レバーミルの登場により、小麦粉は初めて量産が可能となり、商業製粉は単に金銭的な成功だけでなく、社会的にも貢献するようになります。
レバーミルは近年までギリシア一部地域で稼働し続け、原始的な道具が永続的に使用され続けている好例です。使用するには熟練した技術も学習も必要なく、また製作費が安価なことも、他に良い道具ができてからも使い続けられた理由です。一般に進歩的な道具というのは、より高性能のものに取って代わられる運命にありますが、実用に耐えうる単純な方式を採用した道具は、永年にわたり使い続けられます。
力のかけ具合、動作の仕組み、そして動きの滑らかさのどれをとっても、レバーミルは私たちがこれまで見てきたどの粉砕装置よりも遙かに優れています。ただレバーミルは傑作には違いありませんが、ひとつ致命的な欠陥があり、それがその後の発展を促すきっかけにもなりました。つまり挽いた後の小麦を自動的に取り除く方法がないため、それらは両石の間に溜まり続けるか、もしくは上石の外側に放り出されてしまいます。
加えて上石は下石の上に直接載っかっているため、粉の粒度を調整する術がなく、ふすま(表皮)は胚乳と一緒に挽き込まれてしまうのです。そして何より致命的なことは、動きそのものが連続ではなく前後運動であったため、労力が充分には生かされず、また人手でしか操作できなかったことです。そこでギリシア人は更にまた新しい道具を考え出します。