#740 サドルストーンから石臼へ⑥・・・カーンの普及
カーンの重要な利点としては、下臼の上にのっかる上臼の設置方法が簡単になったこと、そして使い続けるにつれ粉砕面は徐々にすり減りますが、その両者の間隙の再調整が容易になったことです。上石の支え方の一つの方法として、前ローマ時代のケルト人が用いたカーンが次の画像です。これはフランス、オーヴェルニュで発見されました。ここでは同じ場所から150ものカーンがでてきましたが、全てこのタイプです。粉砕面が僅かに傾斜していています。水平に突き出たハンドルではさぞかし廻しにくかったに違いありません。
このタイプでは、アワーグラスミルで使用された金属製リンズと良く似たタイプを使用していますが、リンズ中心部に孔をあけることで、アワーグラスではやっかいだった軸(ピボット)の高さ調整が効率的そして簡単にできるようになりました。カーンのホッパーは単に開口部を大きくしただけのもの、また上部に専用のホッパーを取り付けたものもありました。
粉砕面は通常、溝を切るなどの加工がされ、穀物が周辺部に押し出されるにつれ、擦れて細かく切れるようになっています。穀物が十分に乾燥しているか、もしくは時には軽く炒ってやると、もろくなるので、粉砕効率は一層大きくなります。そして挽いているうちにだんだんとコツがわかり、適正量を供給できようになります。供給量が少なすぎると、石同士が擦り合い砂が粉の中に入るし、逆に多すぎると挽き切れずに粉が粗くなりすぎてしまいます。
これらの改良点は、家庭用のカーンや産業用のアワーグラスミルにも徐々に反映され、その結果粉砕技術は格段に進歩し、粉の歩留まりも向上しました。ローマではふるいに対する関心が高まった事実を見ても、小麦粉の品質が向上したことがわかるし、その結果色んなグレードの小麦粉が市場に出回るようになりました。また臼に使用される石にも関心が払われるようになります。ローマ人はライン川沿いにあるアンダーナハ(Andernach)の石を好み、それは近世のミルストーンに至るまでずっと使い続けられます。アンダーナハの石は水晶成分が含まれているので極めて硬いからです。
カーンの登場により生産高は飛躍的に向上します。ホメロスによると昔の宮殿には50人程度の女召使いがいて、彼女たちにとって一番辛い仕事は、サドルストーンで粉を挽くことでした。また「彼女たちはしばしば夜なべをしながら挽いたので、最後には疲れ果てて膝がガクガクになってしまった」とのことです。またヴェルナーはスーダンにおけるサドルストーンによる製粉について次のように述べています。「奴隷一人が終日挽き続けても、大人の食事8日分の小麦粉しかできず、これが奴隷一日分の労働に相当する量だ」。18世紀のある記録によると、ローマ時代に使用された標準的なカーンで挽いてみたところ、8時間の労働で1ブッシェルの小麦を挽くことができたとあります。これよりカーンはサドルストーンと比較して少なくとも12倍は効率的であったと結論づけています。
粉砕面積当りで比較すると、アワーグラスミルは、カーンに比べて労力が余計にかかりましたが、当時労力は安価に利用できたのでそれは大した問題ではありません。それよりも重要な点は、アワーグラスミルは粉砕面積が大きく、大きなホッパーが利用できたため、連続操業が可能になったことです。単位時間で比較すると、アワーグラスミスはカーンの3倍挽くことができ、従来のどんな粉砕機よりもはるかに生産的でした。しかし反面、石の調整が難しく、その結果粉の品質は均一化しません。つまりサドルストーンで挽いた粉よりも優れていたものの、カーンで挽いた小麦粉に比べると品質は明らかに見劣りしました。