#746 サドルストーンから石臼へ⑨・・・ポットカーン
英国においては紀元前3世紀、ケルト族が使用し始めた初期のカーンは、小型で円錐状の粉砕面をもち、上石は単にペグと呼ばれる金具の上に載っかっているだけです(画像参照)。粉砕面はほとんど接した状態なので、ゆっくりと回転させながら挽いていたに違いありません。激しく挽かれ細切れになった粉は、下石の斜面を伝い重力によって落ちます。最初はサドルストーンがカーンの10倍程多かったのですが、紀元前1世紀になると逆にカーンの方が2倍程度に増えます。
そして紀元前55年にローマ軍が侵攻すると、従来よりも更に薄くより大きな、円盤状の臼を使用するようになりました。これはバランスが良くしっかりとした作りでした。カーンの種類によっては、上石を支えている軸が下石を突き抜けその下にあるレバーによって支えられ、それにより間隙(ギャップ)を簡単に調整することができました。このギャップ調整することを「テンター(tenter)」といい、これにより粉の粒度(粗さ)調整が可能となりました(画像参照)。後期のカーンは初期と比較するとかなり高速で回転するようになり、挽いた粉は自然落下ではなく、遠心力によって周囲に押し出されるようになります。イラストのカーンは、A (BC3世紀)→B(BC55年以前)→C(1世紀)→D(2世紀)→E(4世紀)と新しくなります。
ローマ時代のカーンは大型であったため、その作業はきっと男性の仕事であったに違いありません。中世になるとカーンは再び小型になり、男子修道院といった例外は除き、製粉はいつも女性の仕事となります。そしてその内に鍋型もしくは鉢型をした「ポットカーン(pot quern)」が考案されます(画像参照)。これは下石が平鍋のような形状、そして粉砕面は、普通のカーンと同じように平らで、下石の側面に挽いた粉を取り出す「漏れ口」がついています。また中世のポットカーンには、アメリカの南部山岳地域で使用されていたカーンと同じように、バークランクについているタイプもあり、これにより石臼を回転させる労力が軽減されました。画像左は14世紀ドイツの資料から、そして右はアメリカ・アパラチア山脈南部山岳地帯で使用されていたものです。
中世ヨーロッパでは、領地所有者がソーク制度(soke)と呼ばれる特権制度を利用して、小麦取引に関わる利益を独占しようとします。ソーク制度は、それぞれの地域において、小麦を独占的に製粉することができる特権のことで、中世ヨーロッパでは多くの地域に、このソーク制度が浸透し、その独占権の多くは、教会組織の管理下にありました。一例を挙げると、英国では1316年以前に認可されたものは、一律利益の10%を教会に支払うというものです。
また製粉機つまり石臼は地主によって粉屋に貸し出されますが、そのレンタル料は、小麦の市場価格に関係なく、常に製粉した小麦重量の1/16ということになっていました。この規則を拒否したり、自宅や他の場所で隠れて製粉したりすれば、それが発覚すると穀物は全て没収された上に、大きなペナルティを課せられます。にもかかわらず小麦粉の密造やその密売は後を絶ちませんでした。
カーンの最も重要な意義は、動力で動く石臼(ミルストーン)の先祖であるというその歴史的位置づけです。その内に石臼の上石は軸に連結されて回転するようになります。そしてその軸のもう片方は歯車に繋がり、その歯車は水力によって廻ります。このように石臼の動力源は、全く別の場所にあり、ここに製粉産業における新しい展望が拓けました。