#747 サドルストーンから石臼へ⑩・・・ヴァン湖の石臼の謎
これまで見てきたように、回転運動を利用した臼は、ギリシア人により紀元前500年頃に起こった一連の発展の中で発明されたことになっています。サドルストーンからレバーミルまで、私たちはその発展の跡を順番に辿ることができます。そしてレバーミルの動きである円弧が、その後の回転式粉砕器、つまり石臼が描く円運動のヒントになったことは容易に想像されます。ただ私たちは、丸い石臼を見慣れているので、なんとも思いませんが、実は円運動を利用したカーンは、世紀の大発明であると歴史学者の先生たちは考えています。
この回転式石臼の独創性をストーク先生は、「完全な回転式粉砕器とそれ以前のものとの間には、驚くべき険阻(けんそ)な知的飛躍が存在するのだ。これは間違いなく独創的な第一級の発明である」といい、またカーウェン(Curwen)先生によると、「このような進歩は才気あふれた技術者もしくは数学者の創造物以外の何物でもない。発明者はきっとアルキメデスのような先駆者であったに違いないが、古典として歴史に名を残すこともなく、人知れず忘れ去られたのだろう」となります。
歴史を検証してみると面白いことに、偉大な発明にはよくあることですが、それはその発明が独立して、異なる場所で、異なる方法で実現され、そしてその発明の完成度も異なることがあります。カーンについていうと、ごく初期の注目すべき事例は、ギリシアのはるか東方で起こったもので、それはずっと後の平らで円形の挽き臼の登場を予感させます。ウラルトゥ王国時代、トルコ東部のヴァン湖畔には今ではほとんど知られることのないカァルディー族が住んでいましたが、ここで発見された石臼は、地中海沿岸における発展過程からは完全に外れ、孤立しています。
この石臼がなぜ重要かというと、問題はその年代にあります。実はウラルトゥ王国はアッシリアのシャルマネセル3世により紀元前8世紀に征服されてしまったので、この臼はそれ以降のものではあり得ないという事実です。つまりギリシアのカーンよりもずっと古いことになり、その起源は一気に300年以上も遡ることになります。
この上臼は、後にカーンとよばれる「手挽き臼」の上臼の見事な一例であり、目立てされていない以外は完璧です。上臼の底面には、後にリンズと呼ばれる軸受け機構を取り付けていた跡が、2箇所見えます。この事実から下臼の中心を貫通した軸の先にリンズが取り付けられ、その上に上臼が載っていたことがわかります。
これにより極めて未熟ではあるけれど、粉砕時の目の細かさを調整できるようになり、これはずっと後の挽き臼の登場を予感させるのです。ホッパーの回りに見えている小さな孔は、そこに取っ手をつけて回していたのでしょう。その完成度の高さもさることながら、その年代および地中海から遠く離れた地域性を考慮すると、この臼は最も注目に値するものといえます。
ただこの「石臼ヴァン湖起源説」はそのまま鵜呑みにできないところもあります。というのはウラルトゥ王国が滅亡したのは紀元前8世紀に間違いはないのですが、問題はその石臼が1例しか発見されてないこと、しかもそれが上臼しかないという事実です。もしそこで本当に考案され使用されていたのであれば、その辺りにごろごろ転がっていても不思議ではない筈ですが、これまでのところ他には見つかっていません。いずれにしても回転式石臼(カーン)が発明されたのは、紀元前一千年紀の出来事であることは間違いなく、この世紀の大発明によって、その後、牛や馬などの畜力及び水力の利用が可能になりました。そして19世紀にロール製粉機が発明されるまで、石臼は2,000年以上にわたり小麦を挽き続けることになります。