#748フランス・ハンガリーそして現代の製粉方法①
製粉産業は、人類最古の産業であると同時に、現在まで続いている最長の産業であると聞けば、意外に感じるかもしれません。というかそもそも製粉の歴史については、考えたことがない方が、ほとんどでしょう。小麦の粒は、胚乳83%、表皮15%、胚芽2%から構成されています。小麦製粉とは、この小麦を割って、中の胚乳部分だけを取り出して小麦粉にする作業のことです。ただこの簡単なことが非常に難しいのです。
太古の時代から現在まで、私達は「この胚乳部分をいかにうまく取り出すことができるのか」その一点に、注力してきました。小麦の表皮は、強靭で壊れにくい食物繊維であるのに対し、内部の胚乳部分は、もろく壊れやすい構造になっています。そのため、いきなり潰そうとすると、必ず表皮の破片が胚乳と混ざってしまい、そうなるともうきれいな胚乳部分だけを取り出すことは不可能です。
この表皮の混入を防ぐために、先人たちは、「段階式製粉方法」という手法を発明し、私たちは現在も実践しています。これは文字通り、小麦の粒を段階的に小さくすることで、表皮の混入を抑える方法です。専門用語になりますが、製粉途中の小麦、つまり中間製品のことをストック、そして最終的に充分小さくなった小麦粉のことを、「上り粉(あがりこ)」といいます。段階式製粉方法では、「ストックを少し小さくしては、篩い分ける」という操作を何度も繰り返し、最終的に1粒の小麦を50種類程度の「上り粉」に採り分けます。そして出来上がった上り粉を、色の白い順番に並べ、再構成(グループ化)して、等級別の小麦粉を製造します。
とても面倒な方法ですが、現在のところ、これが表皮の混入を最小限に留めることができる唯一の方法なのです。この段階式製粉方法を、実践しようとすれば、おびただしい数の機械装置類が必要になり、それが製粉産業は、装置産業と言われる所以です。
簡単な「篩い分け」の技術は、エジプト時代でも行われていましたが、本格的に実践されるようになったのは、16世紀のフランスにおいてです。当時は、フランス方式と呼ばれ、そこでは石臼と篩い機がセットになったものが、何セットも並び、ある篩い機のオーバーが次の石臼のストックとして使用されていました。また最初の石臼では、上臼と下臼の間隙が標準よりもかなり広く空いていて、次の石臼からはそれが徐々に狭くなり、ストックが段階的に小さくなる仕組みです。その結果、3種類の上級粉を含む5種類の小麦粉、そして大小異なる3種類の小麦ふすまを取り分けたという記録も残っています。
1800年頃になると、フランスの粉屋は、どこよりも品質を追求するようになります。小麦の精選をきれいに行い、過度の圧力を避けるために、効率の悪い小さな石臼を使用し、通常よりも石臼の間隙を更に広げ、何度も何度もゆっくりと小麦を挽きます。そして一度、石臼で挽いたストックは、必ず手作業で丁寧に篩いました。よってその最上級粉は、当然ですが、当時のイギリスやアメリカの小麦粉品質を遥かに凌いでいました。
このような品質至上主義を優先した理由は、その時代の社会構造、つまり封建制度による階層的社会構造が大きく影響したようです。貧富の格差が、生活必需品である小麦粉にまで影響を及ぼしました。具体的には、フランス方式では、下級粉が50%程度生産されますが、それは一般市民によって消費されたのに対し、上級粉は、その繊細かつ上品な価値を認め、それを購入する余裕のある階層の人々によって利用されたというわけです。フランス方式は、両方の小麦粉の価値を支持する人々がいたからこそ、存在しえたといえます。