#756 水車製粉の始まり①・・・ウィトルウィウスの発明
産業革命以後、蒸気、電気、内燃燃料、化学エネルギーなどが私たちの日常生活において顕著な存在になってきたので、エネルギー時代とはそれらをもって始まったと考えるかもしれません。しかし実際はというと、それは2000年も前に穀物粉砕用の水車製粉の発明に始まり、それから1000年を経て風力利用の方法を習得すると、今度はそちらに大きく方向転換し、更に弾みをつけることになります。
重力は人類が動物以外で初めて有効利用することができた「力」です。最初は自然の中にある、流れの急な河川に、簡単な水車を置いて利用しました。それから程なくすると、ダムや放水路などを入念に設計し、更に大きく手の込んだ水車を考案します。更に後になると、風力を利用した巨大な風車に作り、自然の力を利用できるようになりました。
つまり初期の技術者たちは、このような方法で、水や空気を介して重力を間接的に利用していましたが、その力の根本である重力そのものについては17世紀になるまで充分に認識されることはありませんでした。そして更には水の重さやその流れによる圧力を十二分に生かして設計されたタービン、そしてダムから発電所に至る導水路などは、19世紀になってようやく実現されます。
しかしこの2000年の間、水車製粉や風車製粉を設計し製作した大工達は、自然をじっくりと観察し経験を積み重ね、そして試行錯誤を繰り返すことにより、水力や空気力学の基礎を築いただけでなく、機械工学の分野でも偉大な足跡を残しました。彼らはエネルギーを一カ所に集約し、それを上下及び隅々にまで伝達させ、そして速さや大きさを加減させながら様々な動きに変換させる技術を習得します。これらの方法を通して彼らは力の伝達や利用に関する基本的な原理原則を身につけ、現在でも未だに使用されている多くの機械装置の原型を発明しました。
蒸気機関が産業界に登場するまでは、水車製粉が多くの製造現場で稼働していましたが、それまでに培われた機械技術はその急激な環境変化に対しても対応することが可能でした。そして食用の穀物粉砕の分野においても、確固たる基礎が築かれていたため、過去200年における技術革命や産業革命にも順応できたのです。また政治的また社会的な変革による大幅需要増にも、同様に対応することができました。
エネルギー時代の幕開けは、確かな歴史的裏付けがあるものに限れば、それはローマの建築家であるウィトルウィウスが紀元前19年に書き記した水車製粉の記述が始まりだと考えられています。彼は最初に水車による揚水(水を汲み上げること)について論じていますが、これはエジプトでノーリア(noria)と呼ばれていた人力による水車と同じ種類のものです。ウィトルウィウスの水車は、画像のCによく似た水受け板、そしてそれに水を溜める桶が付いていて、桶の水は持ち上げられた時点で空になる仕組みです。
画像(A)は、水平方向の水車に垂直な軸が付いている、直接駆動方式。画像(B)と(C)は、垂直式の水車に水平な軸が付いたものです。画像(C)がウィトルウィウスが取り上げたタイプのもので、Bは多分最初に試したタイプだと推測されます。画像(B)の石臼は、水車よりゆっくりと回転するのに対し、Cはより速く回転します。
ウィトルウィウスは次のように説明します:「水車を利用した製粉も原理的には同じ仕組みだ。回転軸の片方にドラムが固定されている点が違うだけで、あとは全て同じだ。水車の端に垂直方向に取り付けられたドラムは、水車と平行に回転する。そしてこの大きなドラムの横には、歯車付きの小さなドラムが水平に設置され、それが石臼に連結しているのだ。つまり水車の軸の端に固定されているドラムの歯車が、水平方向のドラムの歯車を動かし、石臼が回転する仕組みだ。よって石臼の上部に取り付けられたホッパーから穀物を供給し、水車が回転することによって挽かれる仕組みだ」。