#764 水車式製粉の始まり⑥・・・小麦粉の純化
製粉産業における発展の第二段階は、挽いた小麦粉の「純化」、つまり小麦粉に混じっているふすま片などを取り除いて、きれいにすることです。しかし純化は、粉砕そのものに比べるとずいぶんと立ち遅れてしまいます。ローマ人たちは、ふるいを使っていましたが、アングロサクソン人は大陸を離れ西暦449年に英国を樹立するまでの長い間、小麦粉の純化については、あまり関心がなかったようです。
グラタン(gratan)は本来アングロサクソン語(5世紀半~12世紀に使用された古英語)で「皮を取り除いた胚乳部分」という意味ですが、当時はまだ「粗野な穀物そのもの」のことを指していました。また挽いた穀物をふるった残りの部分、つまり「ふすま(bran)」を指す言葉もゲルマン語にはなく、branの元々の語源はケルト語と言われています。製粉用語に新しい言葉が追加されるということは、その分製粉技術も同時期に進歩していることを意味します。
「挽き割り粉」を意味するアングロサクソン語の「melu」がイングランドでも使われるようになりますが、それは元々mill(製粉機)やmolar(臼歯)、そしてひいてはヒッタイト語のmallanzi(挽く)にも関連しています。1066年、イングランドがノルマン人によって征服された時には、「ふるい」の技術は既に確立されていましたが、これは当時、smedma(非常に細かい小麦粉)とgrytt(良質の小麦粉)という2つの言葉を使い分けていた事実からもわかります。
尤もgryttは良質とはいいながら、今日、粗挽き粉を意味するgritsという言葉が残っていることからも想像できるように、現在の基準ではそれほど良質ではなかったようです。また征服されたときには、既に細かい毛でできたふるいを使用しており、これはアングロサクソン語でtemesと呼ばれていました。イングランドでは近年まで、ある地方では、当時と同じふるい、そしてそれを意味する中英語(1066年~15世紀後半まで使用された英語)のtemseが使用されていました。
1502年は、ボラーによる、「水車の動力を篩い機に利用する」という重要な発展がありました。ボラーの考案した装置は、(画像C)によく似ているといわれています。これは、提灯ギアに連結している棒が、傾斜した篩を、振動させる仕組みです。またこの篩には目開きの異なる網が張ってあるので、小麦粉の取り分けが可能になっています。この頃になるとこのふるいは「ボルター(bolter)」と呼ばれるようになります。このふるい布は、平織りの極めて頑丈なもので、最初はリネンや綿でできていましたが18世紀になると絹製のものも出回るようになり、100メッシュ(1インチあたりの糸の数)という細かい仕様になります。ただボラーの発明は、すんなり世間に受け入れられたわけではありません。
(画像)は、様々な手動式製粉機とふるい機です。AとBは、16世紀半ば、カルダーノによって考案された手動式ふるい機。Cは17世紀初頭、ベランチオによる自動ふるい機。Dは、1662年、ベックラーによる製粉兼ふるい機。Eは、1793年シャルルマーニュが考案した動力による円柱型の製粉兼ふるい機で、随所に鉄製部品が使用されています。またこれは従来のトラフ型(飼い葉桶型)に比べかなり性能が向上しています。
この円柱型ふるい機について最初に記述したのはラメッリで、1588年のことです。これら様々なタイプのふるい機が考案された事実からも、当時の人々がいかにきめ細かな小麦粉を求めていたのかがわかります。前後しますが、カルダーノの手動式ふるい機は、先頭部分できめ細かい小麦粉をふるい分け、最後は家畜飼料用にと、全部で4種類にふるい分けることができたそうです。