#767 水車式製粉の始まり⑧・・・タービンの発明と潮力製粉
下掛式水車も19世紀になると目覚ましく改良され、特にフランスにおいてはカルノーのエネルギー原理を意識した水車が作られるようになります。ポンスレ型水車(図A)では、従来の下掛式水車で使用されていた水平の羽根は、特別にデザインされた曲線状の羽根へと変わりました。これは上掛式水車で使用されていた曲線状の桶をヒントに作られたもので、これにより水流は羽根に接しながら入っていくので進入時の衝撃は最小になります。上手く設計されたポンスレ型水車は、流速のおよそ55%のエネルギー効率をもち、これは程度の良い上掛式水車と比べてもそれ程見劣りすることはありません。
1578年ベッソンによってデザインされたタブ・ミル(おけ型)は、後の技術者達にとってタービン駆動装置を設計する上で大きなヒントとなりました。(図D)は18世紀のタブミルですが、ベッソンのものそれに近いとされています。1827年になると、フルネーロンは水動力における問題点をすべて洗い出し、それを今までにない手法で再構築し、初めて高効率なタービンを開発しました(図E)。フルネーロンが初めて開発したこのタービンは87%という高エネルギー効率を示し、これは現在においても立派に通用するものです。そしてフルネーロン以来、タービンの改良および新しいタイプの開発は、ますます加速されていきます。ほとんどのタービンは回転数が速すぎて、製粉用には不適ですが、元を辿ればその原型は、水車の効率を上げようとした製粉大工たちの努力の結果です。
ところで製粉発展の歴史の系譜からは少し外れますが、興味深い水車製粉の事例を2点紹介します。一つは「水上製粉機」。これは停泊しているはしけの上に取り付けられていて、川の流れに応じて適正な回転数が得られるよう、水車のサイズは選べるようになっています。プロコピウスによると、水上製粉は西暦536年、ベリサリウスにより考案されたということです。これは当時、ウィティギス率いるゴート軍によって「ローマ包囲」され、ヤーニクルムの丘にある製粉所からの水源がカットされたために考案されたといいます。このような水上製粉は、設置場所が違うだけで、機能的には普通の水車製粉と変わりません。
2つ目の「潮力製粉(tide mill)」は、満ち潮によって貯水池に溜められた水により水車をまわすユニークな製粉方法です。潮力製粉は、10世紀頃登場したといわれていますが、その根拠のひとつが11世紀終盤に発行された土地台帳ドゥームズディ・ブックで、そこに最初の例が記載されています。その後、潮力製粉は永い間ほとんど使用されることはありませんが、18世紀になりいくつかの学会が潮力製粉のデザインを公募した結果、一時的に再度脚光を浴びることになりました。
一般的な、潮力製粉は図の通りです。左は、水門が閉じ、水車用ゲートが開いている状態で水車が運転中。右は、満ち潮のときに水門を開き貯水池を一杯にしているところで、水車用ゲートは閉じているので運転は休止中。製粉は24時間のうちに2回、それぞれ5~7時間程度行われます。
いくつかの潮力製粉では、運転開始時には胸掛式水車として動いていたものを、途中から下掛式水車に切り替えて使用できるように、水路を工夫したものもありました。また更に複雑なものになると、水門を閉じた状態で、満ち潮を利用して運転するものもあります。そして運転を停止した後、水門を開け貯水池を一杯にします。そして満潮になったら再び水門を閉じ、違う水車もしくは同じ水車ならギアを逆に入れ替え、運転させます。また2つの貯水池を組み合わせれば、満潮時に1台で使用していたときよりも落差は小さくなりますが、連続運転させることも可能でした。