#769 風車製粉の始まり②・・・最初の西洋風車
直接駆動方式の水車と直接駆動方式の風車とではその仕組みに共通点が多く、両者には何らかの関連があると考えるのが自然です。実際、ペルシアで使用されていた石臼は、形や大きさといいイギリスのそれとそっくりだと言われていました。ヨーロッパとこれら近東地域との関わり合いは、紀元前4世紀の終わり、アレキサンダー大王のヨーロッパ征服以来続いてきましたが、9~11世紀頃はバイキングたちがロシアをまたぎ、セイスタンの直ぐ北に位置するコーラサンやカーリスムと交易をおこなっていました。交易は非常に活発で、その証拠に10万枚を超えるペルシアやアラビア硬貨が、ロシアから西ヨーロッパへ抜けるルート上で、またスウェーデンだけでも3万枚が発見されています。
直接駆動方式の水車は、後に近代の考古学者達がバイキングたちにちなんで「ノルウェー式水車」と呼びました。ただバイキングたちがこの「ノルウェー式水車」を、セイスタンに持ち込んだと考えられなくもないのですが、その可能性は低いようです。それよりはバイキングたちが風車のアイデアをサステインからヨーロッパに持ち帰ったと考える方が自然です。そしてバイキングたちがセイスタンの国境周辺地域へも足を伸ばしていたのと同じ頃、オランダにも定住を始め、9世紀もしくはその少し後には、オランダでの風車の有用性及び必要性を認識していたに違いありません。
もしこの一連の出来事の流れが正しいのなら、ヨーロッパに伝播したのはペルシアの機械技術というよりも、その風力利用そのもののアイデアでしょう。実際、これまでのところ当時のヨーロッパでは、直接駆動式の風車が作られたという記録は見つかっていません。その理由として考えられるのは、ヨーロッパでは広範囲において西からの卓越風が吹いていましたが、それ程強風でなく、また間断なく吹いてるわけでもなかったので、それを直接利用しようとまでは思いつかなかったのかも知れません。
それに直接駆動式風車は、効率が極端に悪く、どんなに好条件が重なっても、帆の面積が同じであれば、ヨーロッパ式風車の僅か1/4のエネルギー効率しか達成できません。もちろんこれにはいくつか理由があります。直接駆動式では、風が帆の一部にしかあたらないので当然、力の一部しか利用できないし、また開口部から入った風は、たちまちその帆全体対する抵抗によってもエネルギーが失われるからです。それに対しヨーロッパ式風車は帆全体に風を受け、タービンと同様に反作用の原理も効率的に取り入れています。
回転翼が垂直に立った西洋式風車は、いつ誰によってどのようにして発明されたのかは不明で、これは記録が残されていない技術史上重要な発明のうちの一つです。そして私たちが知っている初期のヨーロッパ式製粉機はすべのこのタイプなのです。直接的な証拠は残っていないものの、ヨーロッパのどこかでこの風車製粉機が作られたのは、11世紀終盤だと思って間違いありません。17世紀の報告書によれば、ロンドンでは12世紀に風車建設のために土地が払い下げられたとありますが、これは近年の学者達の研究によれば1145年頃とのことです。そして信頼できる記録として、「英国のベリーセントエドマンズにあった風車は、違法に建設されていたために、1191年に取り壊しを命じられた」とあります。1086年の土地台帳には英国の不動産の一覧表が記載されていて、その中には多くの風車も含まれている筈ですが、詳細は不明です。その後、風車は頻繁に様々なところで言及されるようになり、1557年カルダーノが著した「物事の多様さについて」の中では、風車の動作についての解析が行われています。そしてその頃になると何千という風車がスコットランドの低地に点在し、文明世界の隅々にまで知れ渡ることになります。