#779 食事がヒトをつくる①・・・肉食の始まり
何十万年も昔には、様々な種類の原人が地球上の色んな地域に住んでいました。ホモ・サピエンスだって何万年も昔に生活していましたが、それは組織だった食料生産や加工が行われるまだずっと以前のことです。
彼らが住んでいた時代には、既に栽培に適した植物はたくさんあり、すぐ手の届くところにありました。しかし当時の彼らは、まだそういったものに興味を示す段階にはなく、そのためには性格や生活様式をかなり変える必要がありました。つまり彼らの関心を思い切って変えるには、強烈な外的圧力が必要だったわけです。そして望むと望まざるとに拘わらず、その圧力はそのうちにだんだんと大きくなってきます。
最も大きな外的圧力は、きっと気候変動でしょう。気候変動は、私たち人類の歴史という期間に限っても、数多く、広範囲に、そして峻烈なものでした。過去60万年の間に4度、氷河の大前進があり、北アメリカからヨーロッパ、そしてアジアにかけての北極圏の気候は、一斉に温帯の南限をそれまでよりも1300㎞も南下させました。また一度は氷河が後退し、そのときは北限を600㎞北上させました。氷河が前進する前には、北温帯を吹きつける西風の帯が、南方に移動しますが、このときこの西風が運んでくる雨雲が、今は砂漠となっている南カリフォルニア、ニューメキシコ、サハラ砂漠、ゴビ砂漠といった地域に大量かつ長期間にわたって大雨を降らせました。
野生の猿はすべて、果物や植物の葉っぱを主食に生活しています。卵や小動物といったたんぱく源を食べることもありますが、それは稀でしかなく、小麦などの種子を、食べることもほとんどありません。よって一年を通して食料を手当てできるのは、熱帯地方しかなく、猿たちはそこから離れることはできませんでした。今から数百万年前、ヒマラヤ南側のシワリク丘陵に生息していた猿の一団は、南下する熱帯地方を追いかけながらアジアやアフリカ中部に移り住んだので、食生活や生活習慣を変える必要はなく、その結果、彼らは猿のままの状態で留まります。そして彼らの子孫が、現在その地域に生息している大型霊長類です。
しかし中には、温暖な地方、またときには極寒地域である中央アジア、ヨーロッパ、そして北アメリカなどの大陸に危険を冒して渡った者もいました。それがヒトの先祖です。そこではもはや熱帯地方の典型的な食糧はなく、最初に渡った勇敢な移住者は、草原での生活に適応せざるを得ませんでした。果物や食べられる葉っぱは乏しく、穀物に対する知識もほとんどありませんでした。ただ動物だけはふんだんにいました。そしてそこで彼らが生き残ることができた唯一の方法は、狩猟者になり肉食を選択することでした。
ただ人類の祖先である猿は、他の肉食動物のように牙や強いかぎ爪もなく、体型的には狩りにはまったく不向きでした。そしてどういうわけか原人たちも、狩りに適した体型には進化しませんでした。その代わり、最高に素晴らしくまた汎用的な道具、つまり5本の指のついた手を使って、彼らは創意工夫しながら生き残ることができました。ヒトの手はそれだけでは武器として使いものになりませんが、最初からきっとそういう宿命だったのでしょう。スペングラーが言ったように「手は武器を携えてこそ初めて武器になる」のです。上手く狩りをするためには、ヒトは道具を考案せざるを得ず、またその能力によって、肉体的不利を補うだけの充分な技術をもつことができます。このようにして肉食が始まりました。