#780 食事がヒトをつくる②・・・肉食による知性の獲得
食生活が変化するにつれ、ヒトの社会的な行動パターンもその暮らしぶりに、はっきりと反映されるようになります。猿の社会では、子供を除く全ての者が、ほとんどいつも食料を捜し歩いていました。ところが初期のヒトの社会では、大人の男が狩りにでかけ、女は家事や子供の世話をしました。これが労働の分割、そして性別の違いによる社会的役割分担の始まりです。男性主導による秩序が少しずつ現れてきるようになります。
食生活の違いは、ヒトの体型にも影響を及ぼします。猿においては顎が前方に大きくせり出していますが、これは主食であった硬い繊維質たっぷりの植物を、大量にまた長時間噛むことができるように、顎やその筋肉が、順応したためです。この顎の構造をバランス良く保つために、猿の頭蓋骨は上方または前方ではなく、むしろ後方に大きく突き出ています。そして頭蓋骨は脊柱(背骨)の上に乗っかっていますが、その結果、直立姿勢を保つことが困難となっています。
肉の成分は主にたんぱく質と脂肪ですが、たとえ生肉であっても、硬い繊維質に比べるとずっと噛みやすい食材です。それ故、自然淘汰を経て、進化しているヒトの顎は後退を始め、顎の筋肉は小さくなり、最終的に頭蓋骨の中には自由な空間ができました。よって頭蓋骨のバランスは変わり、上下に高くなり、そして前方部分が大きくなりました。この変化により脳の前方部分が発達し、もっと知的な処理が可能になったわけです(画像参照)。頭蓋骨のバランスが変化したので、その脊柱の付け根部分の位置も当然変わります。ヒトはこのようにして直立歩行が可能となり、眼は五感の中でもっとも重要な感覚器官となりました。彼は、自分の周りの世界を鋭敏に凝視できる観察者への第一歩を踏み出しました。
ごく初期の頃、きっとシナントロプス(北京原人)の時代、もしくは20万年前のヨーロッパのアシュール時代には間違いなく、ヒトは獲物をそのまま火で焼いて食べるようになりました。ホメロスのギリシア時代やまた現代の未開人のように、仕留めた獲物はそのまま、もしくは大きな塊に分断して火の中に入れました。すると表面は焦げ目が入っても、当然ながら中心部分はほとんど温かくならなりません。しかしこの程度の調理であっても、肉の硬い部分はちぎり易くなったので、口に入れてもずいぶんと食べやすく、そして消化し易くなったはずです。顎とその筋肉は、更に小さくなった結果、ヒトはかつてないほど知的になり、頭蓋骨は大きく、アーチ型になり、そしてもっと直立して歩くようになりました。頭蓋には容積の増えた部分ができ、そこは灰白質で膨れあがりました。理由は、ヒトは様々な問題を押しつけられ、それを解く必要性に迫られたためです。しかし、そしてそのお陰で、単純ですが、巧妙な石器を創作することができました。
当初、ヒトは肉食が主体でしたが、植物や種子を食べるのを止めたわけではありません。手に入るときはこれまで通り食べましたが、栄養のある中心部分と消化できない皮の部分を分けるのは、相変わらず骨の折れる作業で、歯と舌を使っている間は、あまり人気がなかったであろうことは、今考えても容易に想像できます。それらは当時、ヒトよりも猿によって多く食べられていたに違いありません。いずれにしても肉食が主体になったおかげで、ヒトが知性を獲得できたことは、大きな進歩でした。