#781 食事がヒトをつくる③・・・賢くなったヒトは食材の加工を始める

多分2万年ほど前、最後の氷河期における3つの寒冷期の最後が終わりに近づく頃、他の地域同様、ヨーロッパのヒトは危機に直面します。これは特段、目新しいことではなく、これまでも氷河期の始まりと終わりには、いつでも第一級の危機が到来しました。氷河がせり出してくると、ある者はほら穴に引きこもり、氷河と共にやってきた新しい北極圏の動物を狩猟する方法を学びます。またある者はヨーロッパを離れ、住みやすいアフリカとか東方近くまで移動しました。また間氷期の暖かい時期には、氷河が後退するにつれ、ある者は動物と一緒に北方に移動し、またある者はそこに留まり、新しく到来したもっと熱帯的な動物相の中で住み続けます。いずれにしても、どこにいようとも彼らは狩猟者として生きる道を選択したわけです。

一方、同じ2万年前頃に、更に進化したヒトの種が現れ、新しい方法で、危機に対応します。その頃のホモ・サピエンスは知性が充分に発達していたので、気候変動という峻烈な衝撃が訪れても、これまでのように逃げ出すのではなく、従来の生活様式や習慣に対しての新しい変化として捉え、新しい対応策を見つけます。大きなほ乳類は数が減り、ヒトを養うには全然足りません。従来であれば、たとえ命の危険を冒してでも、食べ物がふんだんにある新天地を捜しにでかけるところですが、今回はその場所に留まる決心をします。

ただ、だからといって、困難に立ち向かう解決方法を見つけ出したわけではありません。また全ての者がこれに従ったわけではなく、この流れが定着するにはかなりの時間を要しました。しかし彼らの中には勇敢な指導者たちがいて、そうこうする内に確固たる新しい食習慣や生活様式を築き上げます。そして「この方法」は、大成功を収めたので、あっという間に浸透し、人たちはこれまでは住居に適さないような場所でも住むことが可能になりました。

肉食を始めたことによってヒトは人間になることができました。そして二番目に大きな食生活における変化が、彼を文明へと導きます。

当時のヒトは、狩猟者だけではなく、食物採集者でもありました。大小に拘わらず、できる限り多くの動物を捕獲しましたが、その肉食生活を、木の根、ジャガイモ、魚、貝、キノコ、木の実、ドングリ、緑の野菜といったもので補うことが、徐々に増えてきます。そして以前はいくら試してもうまくいかなかった、加工の難しい穀物さえも試してみるようになります。

これは猿だった頃の食生活への逆戻りではありません。創意工夫し、道具を使い、火を操り、ドングリ、木の根、そして穀物といった扱いにくい食材を、食用に適するまでに加工するのです。新しい知識を身につけ、才能に更に磨きをかけることで、新しい技術を習得し、また専門化された道具類を制作することで、新しい生活習慣が確立され、ここで初めて与えられた難問に対応できるだけの水準に達しました。

この食生活の変化が起きた理由は、新しい食習慣の食材が魅力的だったからではありません。むしろその逆で、多くの問題を抱えていました。今日我々に馴染みのある野菜は、どれも数え切れないほどの品種改良を繰り返した結果です。18世紀になるまでは、ニンジンは貧弱で魅力のない硬い根っこのようでした。スイスの湖畔に棲んでいた古代人(2500B.C)が食べていたリンゴは、現在の野生のリンゴよりも小さく、またもっと酸っぱかったようです。現代小麦のひとつの祖先であるアインコーン(Einkorn)や、とうもろこしの祖先だったと考えられているテオシント(teosinte)は、現在の主要穀物の祖先としてはあまりに貧相でした。