#789 新しい動力源の登場③・・・科学と技術水準の格差
これ以外の手動式ロール製粉機といえば、1662年にベックラーによるものがあり、これはラメッリ製粉機よりも、一層現代のロール式製粉機によく似ています(画像参照)。この製粉機は現代と同じシリンダー状(円柱状)で、凹状の内壁とは偏心しています。つまり両者の中心軸はローラーが内壁に接するようにずれた状態で設置され(厳密には僅かの間隙がありますが)、よってこの接した部分で粉砕がおこなわれます。
言い換えると、ローラーが内壁と接している部分は直線のみで、これは粉砕面が全て接している石臼や、小麦がローラーの円周部分全体で接するラメッリの製粉機とはかなり異なります。このベックラーの方法は、現代の製粉方法と基本的に同じです。現在のロール製粉機は2つのローラーが対になっていますが、ベックラーの方法では、一回り大きな内壁が、もう一つのローラーの代わりをしています。ベックラー製粉機で粉砕された小麦は、直ぐに同じ手回しのクランクで駆動されるふるい機に送られ、そこでふるい分けられる仕組みです。
このようにラメッリによって考案された素晴らしい技術は、ベックラーやその他の人々に受け継がれ、その後の科学の発展に、計り知れないくらい寄与してきました。理論を現場に落とし込み、試行錯誤をおこなうことが技術屋の常套手段になり、それは科学者にとっても同様でした。16世紀の機械設計は、大胆な思考が積極的に採用されましたが、それは実際の技術に裏付けされたもので、よって様々なアイデアによる動作の検証がおこなわれました。
機械技術と科学はお互いに引きつけ合いながら調和し、その結果双方に計り知れないほどの利益をもたらします。しかしそれが絶頂期を迎えるのは、それからかなり後のことです。というのは、当時の産業界の技術水準は不十分で、科学が求めているだけの技術水準を提供することができませんでした。つまり近代機械工学に不可欠な充分な精度が、永年にわたり達成できなかったのです。例を挙げると17世紀の初め、ガリレオは望遠鏡を自作しましたが、不完全な時計や、精度の悪い球体を使用したために、重力の研究はかなり遅れました。また18世紀終盤にはワットは蒸気エンジンを改良しましたが、ピストンに使用するシリンダーの精度が充分にだせずに、研究は大幅に遅れました。
製粉技術への関心が、徐々に高まってくるにつれ、それは製粉以外の分野にも波及し始め、その結果、それぞれの分野において専門的な職業が生まれることになります。製粉分野においては、製粉技術者が高度な専門職として登場しました。それを立証したのが18世紀にオランダで発刊された製粉に関する一連の本で、その口火を切ったのが1702年にジュスが著した「大工仕事の技術」です。それは風車の建築方法を克明に記載し、この目的のためだけに編集された数多くの素晴らしい内容を含むフォリオ版です。その後は、1727年にリンパーチが「建築の技術」を、1734年にはフォン・ナトラスが「風車についての詳細」、1735年にはリューポルドの「製粉機械の劇場」、そしてより科学的な専門書として1761年にはファン・ジルが「万能機械の劇場」を著しました。これらの本には、入念に用意された詳細、正確、かつ完全な図版がふんだんに使用され、平面図、立面図、断面図なども含まれているので、それを見ただけで直ちに制作できるようになっています。
これらの著作は、全て実際のしっかりとした製粉経験を基にして書かれています。つまり当時のオランダ経済では、製粉、機械、そして外国との交易といったものが、大きな地位を占めつつありました。あらゆる生産現場ではその製造に対する要求が大きくなるばかりで、それに伴い人々の活動は、それまでの自給自足から、より分業制へと変貌しつつありました。そして成長を続ける社会がより複雑な取引を処理するために、更に多くの機械や道具類が必要となりました。