#794 パン粉産業の概要

業界紙(製粉振興#615)に「パン粉産業の概要(藤川 満著)」をいう記事が掲載されていたので、簡単にまとめてみました。パン粉については、以前#468でも紹介しましたが、今回は「パン粉産業」の視点からの説明です。言うまでもなく、パン粉は焼き上げたパンを粒状に粉砕してつくります。用途は、トンカツ、メンチカツ、コロッケ、海老フライ、牡蠣フライ、鯵フライなどの衣は言うに及ばす、ハンバーク、ミートボールなどの増量剤としても使用されます。パン粉の種類は大別して①焙焼式パン粉と②電極式パン粉があります(#468参照)。

パン粉を使用したフライ食品は、もとを辿れば、西欧から取り入れられた食品ですが、現在では日本独自の発展を遂げた日本式洋食です。最初は、コックや料理人がパン屋へ行き、食パンを購入し、自らほぐして使用していました。そして明治40年になると丸山寅吉氏(当時、東京パン粉㈱社長)がパン粉製造用食パンの製造と食パンの粉砕機を工夫して、京橋八丁堀にパン粉製造工場を建設し、パン粉の製造販売を開始します。ただ最初から飛ぶように売れたわけではなく、当時は100匁(375g)や1貫匁(3.75kg)入の紙袋に入れ、銀座、京橋などを毎日売り歩いていたと伝えられています。

大正時代に入ると、東京を中心としてパン粉製造業者は、関西、四国、東北、九州と全国に及んでいきます。そして大正7年の第1次世界大戦勃発により日本経済は好景気となり、パン粉の需要は急速に伸び、全国にパン粉業者が大小次々と出現します。しかしその後は軍国主義へと傾斜し、物資は統制されます。そして戦後を迎え、昭和26年の麦類の統制解除までは、パン粉の製造業者は減少の一途をたどります。同年、小麦粉が自由に売買されるようになると、パン粉も再び徐々に市場に出回るようになります。

物資が十分でなかったために、長らく小麦粉以外の粉を混合してパン粉を製造した結果、品質は硬く決して良質ではありませんでした。そんな中、戦後初めて小澤幸松氏(富士パン粉工業㈱)が、良質で風味豊かなソフトパン粉を製造したのをきっかけに、他のパン粉製造者も競ってソフトパン粉を生産し始めるようになり、現在のようなソフトパン粉が市場に出回るようになります。

さて現在のパン粉市場は、業務用と家庭用に大別でき、令和2年の生産数量は業務用13.5万t(87%)、家庭用2.0万t(13%)の合計15.5万tとなっています。これは一人あたり年間1.2kg、つまり毎月100g程度になります。とんかつ一枚のパン粉使用量は6gなので、これはトンカツ16枚分ということになります。

パン粉の種類としては、生パン粉、乾燥パン粉、セミドライパン粉の3種があります。市場占有率でみると、調理後のソフトな口当たりと形状にボリューム感があるといる理由から、生パン粉(53%)が主流となっています。乾燥パン粉(34%)は、生パン粉に比べ家庭用向けの割合が多くなり、セミドライパン粉(13%)はすべて業務用となります。

パン粉製造工場は、22都道府県に36工場あり、主なメーカーは10社程度に限定されます。パン粉製品は、その特性上、小麦粉製品の中では加工度が低く付加価値の低い製品であるため相対的に物流コストが高くなり、その結果基本的には地域密着型産業となります。近年の生産量は横ばい状態が続いていますが(画像参照)、以前と比較すると乾燥パン粉に代わり、生パン粉やセミドライパン粉が伸びています。

小麦粉同様パン粉の消費量は、人口に比例するため、今後の人口減少社会の到来を考えると、国内需要は今後15万t前後と横ばい、乃至は漸減すると予想されます。また低付加価値製品であることを考えると、輸入パン粉の脅威はないと考えられます。また最近の傾向としては、「低吸油パン粉」、「低糖質パン粉」、「経時変化に強いパン粉」などの需要が増加しているようです。