#807 ピュリファイアーの発明③・・・ピュリファイアーの発明
ハンガリー方式は、とてつもなく面倒な方法でしたが、その「段階式製粉方法」の基本的概念、つまり小麦の粒を段階的に少しずつ小さくしながら胚乳部分を取り分けるという概念は、重要でした。そして注目すべきは、その後、何十年にわたり新しく開発された製粉機械についても、その設計思想はハンガリー人もしくはフランス人によって創出されたという事実です。これらの影響はその後の欧米の発展にとっては貴重でした。
18世紀も終盤になると、それまでローカルブランドであったハンガリー小麦は徐々に有名になります。ドナウ川流域の硬質冬小麦で挽いた小麦粉は、「ウィーンの小麦粉」として名を馳せるようになり、遠くはパリ、ベルリン、ハンブルグにまで販売されるようになります。ハンガリー小麦は超硬質であるにもかかわらず、表皮は極端に脆く、石臼の間隙が狭くした通常の方法では上手く挽くことができませんでした。しかし上臼を軸受座(下臼に取り付けた心棒受け皿)にしっかりと固定して、間隙を広くすることで、上手く割れることがわかりました。そして挽き割りを桶に入れ、うまくタイミングをとって上下に揺すってやると、軽い表皮部分がだんだんと上部にせせり上がってくるので、それを小さなスコップですくうことで、表皮部分だけをうまく取り除くことができました。
そして残りの小麦粉が多く含まれている部分を手作業で篩ったものが小麦粉として販売されました。この篩い作業を、開放した窓際もしくはドアの横で行うと、隙間風が吹いてきて軽いふすま片を吹き飛ばしますが、実はこれは何千年もの昔から屋外で行われてきた麦わらを吹き飛ばす作業と同じ原理です。そしてさらには小麦片を積極的に吹き飛ばすために、ふいごを使用することもありました。つまりこれこそが、稚拙な方法ながら、「気流」を利用した、挽いたストックに混じっているふすま片を取り除く作業、つまり「純化」ということになります。これは気流を精密に制御する現在のピュリファイアー(純化機)とは比べるべくもありませんが、考え方としては、確かに気流を利用したちゃんとしたピュリファイアーなのです。
そしてオーストリアのイグナツ・パウアは、粗挽き粉に対し、この「気流」を応用し、軽い表皮部分を取り除き、残った粉を、間隙を狭くした石臼で再度挽き「精製粉(extract flour)」と名付けて発売したところ、大いに好評を博しました。そこで彼はそのために開発した機械を、1807年正式にピュリファイアー(純化機)として発表しました(図参照))。ここではストックは、いくつもの並んだホッパーから落下し、送風機からの風によって重量別に分別される仕組みです。
一方ロレは「製粉についての回想(1847年)」という著書の中で、パウアよりも早い1775年に、既にピネが、小麦を処理するためのピュリファイアーに良く似た機械を発明したと記述していますが、その裏付けとなる具体的な資料等については何も言及していません。よってピュリファイアーの発明者は、パウアと考えるのが妥当なところです。
パウアは後に、考案したピュリファイアーに次の3つの改良を加えました。①送風機をミドリングスの落ち口により近づけた。②ピュリファイアーで処理する前に、振動式篩いによりストックの粒度を一定に揃えた。③挽いたストックを篩いに送るための昇降機(エレベーター)を取り付けた。改めて言うまでもありませんが、気流の利用によって、効率的な分別を行うには、その前段階としてストックの粒度を揃えることが不可欠です。というのは粒度にばらつきがあると、小さい胚乳は飛ばされ、逆に大きな表皮は残り、正確な分別ができないからです。そういう意味で、②は重要かつ大きな技術革新でした。