#811 「小麦粉とパンの1万年史・・・製粉の歴史(ジョン・ストーク、ウォルター・ティーグ著)」
小麦を挽いて小麦粉をつくる製粉産業は、人類最古の産業であると同時に、現在まで続いている最長の産業です。本書では、人類が初めて野生の小麦を噛んだときから、現代の製粉産業までの「小麦粉とパンの歴史」を、途切れることなく詳細に説明しています。製粉の歴史を紹介した文献はいくつもありますが、それらは全て断片的、もしくは概略的なものばかりで、これほど全体を体系的に網羅している文献は、他にありません。
原著が出版されたのは、1952年。今からちょうど70年前のことです。しかしその内容は未だに、新鮮で興味深く、読んでいて飽きることがありません(同業者だからでしょうか?)。もちろんこの70年間の間に、考古学上の新発見や新しい研究成果もあり、現在では史実的に正しくない記述(特に先史時代)があるかもしれません。また稀に時代錯誤的な表現も含まれますが、それが却って当時の状況を臨場感たっぷりに伝えてくれます。「古さ」が本書の魅力を損なうことはなく、本書は小麦粉とパンの歴史を把握するための唯一無二の最良書であることを信じて疑いません。
ニューヨークの著名な工業デザイナーであるウォルター・ティーグ氏は、文化史の著名な学者であり作家でもあるジョン・ストーク博士と共に、これまで誰も手をつけなかったこの分野において深い研究をおこなってきました。そして彼らの共同作業の成果は、数多くの素晴らしいイラストとともに、この本において存分に紹介されています。
古代の人々は、なんとなく漫然とパンを食していたとイメージしがちですが、実はそうではありません。エジプトやメソポタミアでは、育てやすく収量が多いという理由で、永い間、大麦が主食でした。同様にギリシア時代におけるアテネ人の主食も大麦でしたが、その頃になるとかなりの量の小麦(主としてエンマー小麦)も消費され始めます。そしてローマ時代になり、ようやくデュラム小麦やパン小麦が、食生活において、重要な位置を占めるようになります。ローマ時代に初めて完全な発酵パンが誕生し、それが初期のクイックブレッド(速成パン)に取って代わり、人類史上初めて、小麦の消費が大麦を上回りました。
小麦の表皮は、強靭で剥がれにくい食物繊維であるのに対し、内部の胚乳部分は、もろく壊れやすい構造になっています。そのため、いきなり潰そうとすると、必ず表皮の破片が胚乳と混ざり合ってしまい、そうなるともうきれいな胚乳部分だけを取り出すことは不可能です。この表皮の混入を防ぐために、先人たちは、「段階式製粉方法」という手法を発明し、私たちは現在も実践しています(詳細はこちら)。本格的な段階式製粉方法を最初に実践したのは、16世紀のフランス人です。これは当時のフランスが、技術的に可能であっただけでなく、当時のフランスが封建社会であったことが大きく影響しています。
つまり段階式製粉方法を実践すると、上級粉以外に50%の下級粉が発生します。そして封建社会では、いくら手間暇かけて高価になろうとも、上級粉である「白い小麦粉」を買い求める富裕層が存在するのに対し、下級粉は一般市民により消費されるのです。そしてフランスよりも更に封建制度が進んでいたハンガリーでは、「皇帝の小麦粉」と呼ばれる、歩留り10%以下の特別な「白い小麦粉」が更に高値で販売されていました。
著者は本書の最後に、「将来は、段階式製粉に取って代わる、画期的な製粉方法が発明されるかもしれない」と結んでいますが、果たして70年が経過した現在でも、私達は未だに段階式製粉方法を実践しています。もちろん細部においては、大きな技術革新がいくつも達成され、小麦粉の品質は当時とは比較にならない程、格段に向上しました。しかし基本的な製粉方法は、当時と同じです。神様はなぜ小麦をこのような複雑な構造にしたのか不明ですが、小麦はそれだけ手間暇かける価値のある穀物なのです。