#813ピュリファイアーの発明⑥・・・新工程(New Process)の採用

ピュリファイアーを採用した製粉方法は「新工程(New-Process)」と呼ばれ、その後の製粉工場において中心的な役割を果たすようになります。その効用は企業の損益計算書にも現れ、それが更にピュリファイアーの普及を促進します。ピュリファイアーの利点は、何といってもそれまで人気のなかった硬質春小麦からでも高級小麦粉がとれることで、従来品より高価格で販売されました。

ウォッシュバーンB工場は、大規模製粉工場においてピュリファイアーが最初に実用化された工場ですが、ジョージ・クリスチャンは次のように評しました、「新工程を導入した最初の年の収益は、1バレル当り50セントだったが、2年目は1ドル、そして3年目は2ドルとなった」。これはピュリファイアーの利用により小麦粉の品質が劇的に向上し、その色の白い「パテント粉」というものを、余分にプレミアムを支払ってでもアメリカの大衆が強く望んだ結果です。1873年、当代随一のウォッシュバーンA工場が建設されましたが、その建設費の原資はこのパテント粉販売による利益と言われています。

ただアメリカでは機械化が進んだおかげで、この高価格は長くは続きません。ミネソタの粉屋は、ドナウ川流域の粉屋と同じように、高品質の小麦粉を得るために、石臼の間隙を広げました。ハンガリー方式というのは、手の込んだハイグラインド方式で、とにかく人手が必要でしたが、アメリカでは「ハーフグラインド方式」、つまり従来よりも間隙を広げるけれど、ハンガリー方式程は広げない、中間的な方法で、その分ハンガリー方式程の人手は必要ありません。加えて彼らは、コンベア、エレベーター、その他の自動機器を存分に駆使し、省力化を計った結果、「新工程」製粉工場は、あっという間に市場を席巻し、パテント粉の価格は一気に下落しました。そしてハンガリーでは貴族階級だけが利用できた最高級品質の小麦粉を、アメリカでは誰もが口にすることができるようになったわけです。

図は石臼とピュリファイアーを採用した日産100バレルの小規模「新工程(New-Process)」製粉所です。ここでは地下室から伸びたシャフトによって全体が駆動し、挽砕前の精選工程をより重視していることがわかります。

「旧工程(Old Process)」では直径5フィートの大型石臼が使用されたのに対し、図では直径が48インチと36インチの小さな石臼のペアが3対、そして間隙は広く調整され、従来よりもゆっくりと回転します。「新工程」で使用された石臼は、従来よりも多く溝を彫ってあるので、その分「山」の部分が少なく、またしばしば内部をくり抜いた、いわゆる中空構造です。そして山の部分は、従来よりもなめらかに処理されていたため、粉砕効率は若干劣るものの、その分通気性が向上しています。

「新工程」方式では、少ない時は1時間当り4.5ブッシェル、また頑張っても精々8ブッシェルしか製粉できず、これは「旧工程」の15ブッシェル以上と比較するとかなり少ない量です。しかし重要なことは、できる限り多くのミドリングスを取り分けることで、その結果既存の設備で、顧客が望む高品質の小麦粉を提供することができるのです。エバンスの時代には僅か3~5%のミドリングスしかとれなかったのが、新工程方式では一気に20%にまで増え、最終的には腕の良い粉屋は60%ものミドリングスをとり分け、それを小麦粉にしていたと言います。因みに現在のロール製粉機での小麦粉歩留まりは、およそ75%です。

新工程方式の特徴は、旧方式と比べると格段に篩い作業が多くなることです。つまり不純物をきれいに取り除き、全ての原料を等級別に篩い分けようとすれば、どうしても篩い作業の回数が増えてしまうのです。図の製粉工場では、たった2台の小麦挽砕用石臼と1台のミドリングス用石臼しか設置してないにも拘わらず、篩い作業用として3個の収納箱に7台の回転篩い機が必要でした。