#815ピュリファイアーの発明⑦・・・粉塵処理の問題
8台の石臼を設置した新工程方式を採用するとなると、30台以上の回転篩い機と大きな収納箱10個が必要となり、それらは収納スペースに換算すると製粉工場の2フロア以上を占めることになります。回転篩い機の網はかなり高価であるのに加え、穀物害虫の絶好の標的になり易く、またストックが引っ掛かり目詰りを起こしやすいという欠点があります。一旦どこかの篩いが破れてしまうと、たちまち全体のバランスが崩れてしまうので、常に監視が必要です。また充分な量のストックが流れないと、不純物が篩いを通り抜けてしまうことがあるし、逆にストックが多すぎると今度は篩い切れないので、その調整にも細心の注意が必要です。
円筒形の篩い機の改良型が六角形の篩い機です。円筒形の篩い機だと回転しながらストックが滑ってしまいますが、六角形だとストックがひっくり返りながら回転するので、それだけ篩い効率が良くなります。新工程ではより効率的な篩い方法の開発が急務でしたが、ロール製粉機の出現によりそれは最早、一刻の猶予もならない状況となりました。例えばウォッシュバーンA工場は1878年時点ではまだ完成半ばでしたが、既に日産1,700バレルの小麦粉を生産。そこでは回転式篩い機はなんと148台も稼働し、それは工場2階分のフロアを丸々占領していました。
工場の規模が大きくなるに連れ、発生する粉塵の量も飛躍的に増大し、その粉塵は工場内に拡散し、いよいよ危険な状態になります。当時最大規模であったウォッシュバーンA工場では、毎日3,000ポンドもの粉塵が、石臼の階下にある2つの粉塵室(ダストルーム)に集められていました。当時は「粉屋の咳」と呼ばれた原因不明の咳が流行っていて、これを防止するためも、粉塵の抑制が焦眉の急でした。しかし色々努力はしてはみたものの、結局のところ有効な手立ては見つからず、唯一の方法は各セクションから発生する粉塵を、隔離した粉塵室に排気することでした。しかしこれは当時まだ認識されていなかった、恐ろしい粉塵爆発の危険性を増すだけでした。
そして粉塵問題はとうとう、世間を震撼させる事件に発展します。1878年5月2日の夕方7時を少し回った頃、新工程を採用したウォッシュバーンA工場が大爆発を起こし、周囲に立地していたアメリカを代表する5つの製粉工場も同時に倒壊してしまいます。大きな爆発音と共に、基礎部分が6フィートもの厚さのある工場の壁は、根本から吹き飛ばされ、犠牲者は作業員14名全員を含む18名でした。事故原因は、石臼が空運転していたために火花が飛び散り、それが粉塵に引火したと結論づけられました。ロール製粉機の導入により生産性は更に向上し、その結果、粉塵問題は益々深刻になり、1870年代終わりから1880年代にかけての最重要課題となりました。
また粉塵問題とは別に、製粉産業の更なる大発展を秘めた問題も浮上します。つまり充分な粒度調整ができない従来の石臼では、きめ細かく分類されたストックを処理するピュリファイアーの高機能を充分に引き出すことができず、このボトルネックの解消が、製粉業界の更なる飛躍の鍵となりました。言い換えるとピュリファイアーの性能を存分に発揮するには、前段階の処理として充分な量のストックとその粒度を均一に揃える必要がありますが、従来はそのために、夥しい数の石臼を使用して、ストックを注意深く選別する必要がありました。そのような手法は実際、ハンガリーで行われていましたが、それは気が遠くなるような時間と手間がかかり、大いに非効率でした。
そして新工程方式を採用した粉屋は大きな矛盾に直面することになります。つまり多くのミドリングスを生産するには石臼の間隙を広くする必要があるのに対し、一方でふすまに付着している小麦粉を取り除くためには間隙を狭くしなければなりません。結局、この問いに対する最終的な答は、ストックの粒度をきめ細かく調整しながら段階式製粉を実践することですが、これは石臼では不可能で、ロール製粉機でなければできません。よってロール製粉機の利用が、次の重要な発展分野となりました。