#817 ロール製粉機への道程①・・・石臼の限界
大根おろし器を大きくしたようなサドルストーンは、往復運動を利用した粉砕器で、エジプト時代に大いに流行りました。その後登場する回転運動を利用した石臼は、ギリシア人により紀元前500年頃に起こった一連の発展の中で発明されたと考えられています。そして回転運動であるが故、馬や牛などの畜力(ちくりょく)、水力、風力の利用が可能となり、大量生産への道が拓けました。石臼は粉砕器の主役となりその地位は19世紀になるまで続きます。
19世紀になるとピュリファイアーを多用するようになり、粉砕方式はローグラインディング方式(石臼の間隙を狭くした方式)からハイグラインディング方式(間隙を広くした方式)を採用した新工程製粉方式(New Process)が主流になります。従来からも上手に小麦粉を挽くためには、単に良い腕や眼、耳を持ちあわせているだけでは十分とはいえず、その石臼毎の癖を見抜く周到な洞察力が必要でした。しかし新工程方式では、一層、このような直感力や判断力が一層求められるようになります。粉屋たちはいつも、「正しく調整しているのになぜ小麦粉にふすま片が混ざってしまうのか?」、「5ブッシェルの小麦からなぜ1バレルの小麦粉しかとれないのか?」、「篩機がすぐに詰まってしまうのはなぜか?」、「私の石臼はどうして誰其の石臼の2倍の力が必要なのか?」などの悩みが尽きません。新工程方式には多くの利点がありましたが、それと同じくらいの苦労もあったのです。
粉砕時の僅かな調整の違いが、それ以降の工程のバランスを大きく損ねることにもなります。硬質や軟質といった小麦の種類の違い、小麦に含まれる水分の多少、精選の良し悪し、小麦を石臼に供給する速度の違い、回転速度の違い、気温の違いなど、どれもがトラブルの原因となり得るのです。新工程の製粉所では、自動運転が可能でしたが、粉屋は常にそばに立って気を抜くことができず、製粉所全体を絶えず注視している必要がありました。
しかし一方で、石臼は永年の技術と経験の蓄積による、ひとつの傑作であることには違いありません。つまり最適な材質の石を選び、表面の加工処理を適切に行い、軸受座のバランスを調整し、最適な速度を与えてやれば、石臼は、正確な均衡を保ちつつ、いつまでも回転します。多くの粉屋にとって、石臼は正に彼の技術の象徴であり、他のどんな機械や道具とも比肩できない素晴らしい機械でもあります。よって粉屋が、石臼に代わるロール製粉機を容易に受け入れようとしない主たる理由は、慣れ親しんだ石臼に対する愛着が大きかったことによります。
一方、一対の鉄製シリンダー(円柱)が噛みあうように回転するロール機は、既に16世紀末期、イタリア北部の鉱山において金属の圧延用に使用され、18世紀にもなると広く西部ヨーロッパにおいて、金属板や金属棒の圧延に用いられるようになりました。またロール機は古くは砂糖きびを圧搾するために使用され、ラメッリやベックラーによる手動式ロール製粉機についても既に紹介済みです(#788、#789)。ただこれらの機械は、石臼と比較して2つの重要な点において劣っていました。一つは大量生産に不適であったこと、そしてもう一つは、粉砕面を正確に設置することができたにも拘らず、その間隙を柔軟に調整できなかったことです。つまり間隙が柔軟に調整できないと、金属などのような硬い異物が紛れ込んだときに、それがロールに噛みこんで動かなくなってしまうのです。
そこそこの品質を維持し大量生産を可能にした動力式ロール機は、早くから実用されていましたが、間隙を正確に調整できる柔軟性をもったロール機が登場するのは、それからかなり後のことです。そして転機は1830年に訪れます。