#834 小学時代の思い出
弊社の近くにある国宝神谷(かんだに)神社が、9月27日の落雷で被災しました。自動防水設備も完備していましたが、皮肉にも落雷による停電により機能しませんでした。修復には多額の費用が必要ですが、国宝なので費用はすべて国負担かと思いきや、地元負担も一定額必要です。ただ氏子が少ない神谷町では十分な財源が見込めず、今回クラウドファンディングを募ることになりました(詳細は次回)。さてイラスト担当者による新着情報をお届けします。
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先日、通勤ルートの途中にある公園からコロコロとサッカーボールが転がってきました。転がる先には大きな車道があるので思わず脚でサッカーボールを止めると、走ってきた小学生の男の子たちが、大きな声で「ありがとうございます!」と言うではありませんか。きちんとした挨拶をする小学生にびっくりするのと同時に、その礼儀正しさに嬉しくなりました。自分が小学生の頃は、恥ずかしがり屋でこれほどきちんとした挨拶はできませんでしたので、「この子、上手に大きくなっとるやん!」と思ってしまいました。日本の教育は案外いい線いっているのかも知れません。
さて改めて小学生時代を思い返してみると、友達や先生に恵まれた環境であったことに感謝せずにはいられません。現在では、体罰、児童虐待、いじめなどが大きな社会問題になっているため、教育もきめ細かな配慮が必要となり、先生方も対応に苦慮されていることもあるようです。父親の時代には、体罰すれすれの教育も日常茶飯事であったと聞き、びっくりしたことがありますが、昔はそんな時代だったようです。
小学2年時の担任だったM先生は怖いことで有名でした。毎回授業の最後に一つ問題を出して終わるのですが、次に授業が始まった時には必ずその問題の問いかけからスタートします。そこで自分の意見があればちゃんと手を挙げなければいけません。たっぷりと時間があるのだから自分で考えをまとめておけば何の問題も無いのですが、それができていないのです。授業開始そうそう「わかった人は手を挙げて~」といってすぐさま「はい、そこまで。手を上げてない人は廊下〜」と告げられ、廊下に立たされます。
そのうち廊下に立たされるのは敵わんということで、解らなくても手を挙げる生徒がでてきます。最初の内は、それで上手くいくのですが、いつかは指名されて答えられないときが必ずやってきます。そうなるとM先生は烈火の如く怒鳴り散らし(尤も悪いのは私達のほうですが・・・)、それで私たちは益々M先生が怖くなり、M先生の前ではいつもピリピリしていました。しかし卒業式が終わり集合写真を撮る段になって現れたM先生は、お笑い系のおじさんに変身していて、「ああ、こんなに笑う先生だったんだな」と心にグッときたことを覚えています。みなさんも謝恩会などで普段と全然違う先生を見て「あっ!」と思った経験があると思いますが、そんな感覚です。
また1年時担任のN先生も印象的です。給食時に、普通に盛られたご飯はあまり箸が進まないので、一計を案じて、炊飯器の中に残ったご飯を塩むすびにしました。するとみんな普通に盛られたご飯はイマイチなのに、その塩むすびは大好評で、ご飯は一気になくなりました。先に完食した子から早い順で塩むすびをゲットできるため、うちのクラスはご飯を残す子が極端に少なくなりました。