#928 武蔵野うどんと小平うどん
東京の客人から「こだいらで出会うUdon LIFE」なる小冊子をいただいたので、興味深く読みました。武蔵野うどんとは、東京都北西部の多摩地域から埼玉県西部にかけて広がる武蔵野台地及びその周辺地域において、古くから食されてきたうどんのことです。ただそのうどんとしての歴史は古いものの、「武蔵野うどん」という名前の登場は比較的新しく、以下簡単にその経緯をご紹介します。
玉川上水の分水には多くの水車が設置されましたが、小平の地では、明和2年(1765)に最初の水車が登場し、小麦の脱穀・製粉に利用されました。その後、明治30年(1897)には40基あまりの水車が稼働するようになります。武蔵野台地は、水はけが良いため水田耕作には不適でしたが、麦作には好適であったために、小麦栽培が盛んになりました。
武蔵野台地のほぼ中央に位置する小平の地では、麦作が盛んになるにつれ、小麦を中心とした食文化が発展しました。そして当然のごとくうどんを食する習慣が形成され、その手打ちうどんの技術も代々伝承されてきました。しかし戦後は高度成長の道を歩むにつれ、農家は減少し、うどんが打てる人も減少の一途をたどります。このままでは、手打ちうどん文化が廃れてしまうという危機感を抱いた人物が、國學院大學の教授であった加藤有次先生です。
加藤先生は、1932年小平市生まれ。実家は農家で、父親がうどん好きだったため、小さい頃から母親が打つうどんを食べて大きくなりました。小さい頃のうどんの味が忘れられない加藤先生は、30歳の頃、小さい頃の記憶をたどりながら独学でうどんを打ち始めます。そこで先生は、当時単に「うどん」とだけ呼ばれているだけで、特に呼び名のなかった地元の手打ちうどんに「武蔵野手打ちうどん」と名づけました。
一般的な武蔵野うどんとは、地元でとれた地粉を使った冷たいうどんを、きのこやあげの入った温かいつけ汁で食するうどんです。また「糧うどん」は武蔵野うどんの一種で、小平あたりに伝わるうどんをさします。これは「糧(かて)」と呼ばれるゆでた野菜を添えるのが特徴です。かつて小麦は高級品であったため、うどんでお腹をいっぱいにするのではなく、野菜で嵩を増したと言われています。糧は地元野菜を使用し、つけ汁に入れて一緒に食します。当初は、増量剤としての糧でしたが、今考えると栄養バランスに優れた食品です。うどんが高級品であった時代には、結婚式、お正月、成人式、法事などの人生の節目や重要な行事といった「ハレの日」に、うどんが振る舞われました。
武蔵野うどんの人気メニューである肉汁うどんは、武蔵野うどんのつけ汁に、豚バラ肉を入れたメニューです。これは1970年頃、一軒のうどん店が始めたメニューが人気を博し、それが現在ではすっかり定番メニューとなりました。小平では伝統の小平糧うどんだけでなく、店主が独自に美味しさを追求した創作うどんなど色々なうどんを楽しむことができます。
さて武蔵野うどんのど真ん中とも言える小平でうどんを食するとなるとどうするか。うどん店は、駅前に並んでいるのではなく、多くは駅から離れた場所に点在しているので、最初はちょっとわかりづらいかも知れません。また自宅を改装した、一見うどん店には見えないうどん店もあります。ためらいながらも勇気をもって玄関を開けると、女将さんが笑顔で迎えてくれます。小平のうどんマップ(画像参照)を参考にしながら、みなさんも是非、小平武蔵野うどんツアーにチャレンジしてみてください。