2003年7月のお知らせ

雨降りが続いています。湿度が高く、製品の管理にはご苦労されている毎日かと、思います。幼稚園の子どもたちの下校風景に出会いました。笹の葉の飾りつけを手にもって・・・。そう・・・。七夕 たなばたの季節がきたのですね。すっかり忘れていました。幼い頃、夏の夜 涼み台にあお向けになって寝て、夜空にひろがる星たちを眺めていたことを思い出しました。たくさんの願い事を書いて、笹の葉に結びました。

1985年に世界で最初に、映画の興行が行われて以来、映画の歴史は百年をこえました。映画評論家の淀川長治さんは、「映画を観ることは、人生を2倍 楽しくする。」おっしゃいました。いま、篠田正浩(しのだまさひろ)監督の映画「スパイ・ゾルゲ」が公開されています。篠田監督は 1931年 岐阜県の生まれ。50年以上の年月を映画作りに携わってきました。とりわけ「瀬戸内少年野球団」は身近な映画でしょう。昭和20年8月15日、篠田監督は中学3年生の時に 敗戦を迎えました。・ ・・私は、その日を境に歴史に対する解釈が大きく変わってしまいました。今まで習っていた神話が否定され、大和朝廷について教えられはじめたのですから・・・。突然、活断層で区切られたようなショックをうけました。

卑弥呼、近松門左衛門、新撰組、森鴎外。映画づくりの対象を求めて、過去を旅するなかで、ひとつ ひとつ、歴史というクロスワード・パズルを埋めてきました。そして昭和初期。どのようにして政治、社会は戦争へと至る道をたどったのか。この時代を描くことは、私の謎解きの集大成でした。私の生まれたのが1931年。この年に 中国では満州事変が勃発。国境を接するソビエト連邦は日本への警戒心を強め スターリン政権は、極東の地日本へスパイを放った。それがドイツ人ジャーナリスト 「リヒャルト ゾルゲ」でした。皇国少年の一人として育った私と、スパイとして冷静かつ客観的な視点を貫いたゾルゲ、そしてゾルゲの協力者として自らの意思に従って行動した新聞記者 尾崎秀美(ほつみ)は、同じ時代を生きてきたわけなんですね。路面電車やシボレーの行き来する街路。風邪にそよぐ柳の並木。銀座を中心として栄えた当時の東京は、世界に誇れるモダンな景観を保っていました。もはや古い写真でしか見ることのできない景色や出来事。それはスクリーンを通して提供できる。映画は、失われた時間と空間を再生する思い出作りの装置だと思います。篠田監督はこの映画を最後に、監督の引退を表明しました。「歴史、特に昭和について まだまだ調べたいことがあります。研究は続けていきますよ。」映画への旅は続きます。

7月のお休みは 21日(海の日)
   26日(第4土曜日)、それと日曜日です。

天の川が、見れるといいですね。
暑い日が、続きます。お体を大切になさってください。

木下製粉株式会社会社  平成15年7月4日