2005年1月のお知らせ

新年明けまして おめでとうございます。

酉(とり)の年の目標は、たてられましたでしょうか。私どもの今年の目標は、「整理・整頓」を心がけることです。「整理・整頓」が「製品の品質や職場の雰囲気の向上」への基本であると思っています。今年も宜しくお願いいたします。

舘野 泉(たての いずみ)さんは、1936年生まれ。1964年から北欧のフィンランドに在住し、世界各地で3000回以上のコンサートを行っているピアニストです。2002年の1月、フィンランドのタンペレ市での演奏会のなか、突然、右手が遅れだし、最後は左手だけで曲を終わらせました。脳出血でした。5歳からピアノを始め、ピアニストとして40年間、活躍してきた舘野さんは、「人生の核を失って何を頼りに生きていけばいいのか・・・」と暗い気持ちになりました。花を見ればきれいと感じても、何かが欠けている。病に倒れ、1年半の歳月がすぎました。ある日、バイオリニストの長男が、楽譜を舘野さんへプレゼントしました。イギリスの作曲家ブリッジの「三つのインプロヴァイゼーション」という左手のための曲でした。弾いてみると、ゆったりとした海のうねりを思わせるすばらしい作品でした。自分が命を取り戻して呼吸しているという気がしました。

舘野さんは左手のための楽譜を探し始めました。約80曲。そのほとんどが戦争や交通事故・病気などで右手の自由を失った人のために書かれています。作品はどれも立派で、内容も技術的な面も両手の曲に負けない。なのになぜか、日陰に咲く花のように目立たず、知られていない。おそらく演奏する側と聴く側 どちらにも問題があるでしょう。演奏者は身の不自由さを人目にさらけだそうとしないし、聴く方は、両手で弾くものを片手で演奏するから、内容は2分の1だと思っている・・・。

「人前で左手のみで演奏するなんて、むちゃなことだ・・・としか思えないでしょう。やめるように忠告してくれる人もいました。妻も反対しました。私は練習しているうちに気づきました。左手のみで演奏をしてみて、音楽がより鮮明に響くことに気づきました。練習を聴いているうちに、妻も左手1本とは信じられない・・・と言ってくれるようになりました。北欧の長い冬が終わり、氷が解けて大海原が目の前に現われ、命の水脈を見つけたようでした」舘野さんは「ただピアノがあればいい。音楽とともに生き続けらればいい」という純粋な思いで復帰されたのでしょう。舘野さんは2004年5月に演奏活動を再開しました。

1月のお休みは 10日(成人の日)、22日(土曜日)
   それと日曜日です。

福沢諭吉(ふくざわゆきち)は「福翁自伝」の中で、「先ず獣身を成して、後に人心を養うというのが私の主義」と言い、「子どもはまず、体を鍛えなさい」と説いています。
64年前、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、「人はパンのみで生きているのではないと同様に、武器のみにて戦うものではない。自らの生活様式にたいする信念にもとづく活力と勇気を持つことだ」と訴えました。毎日の生活のなかで、これらの言葉を思い出しながら一歩ずつ 歩んでいきたいと思います。
お体、大切になさってください。

木下製粉株式会社会社  平成17年1月6日