2005年5月のお知らせ

ツバメがやって来ました。小さなからだで、何時間・何日と・・・飛び続けてここに辿り着いたのだろうと思いをめぐらします。

明治維新からわずか10年後の1877年、貝類の研究をしていたアメリカ人エドワード・モースは横浜港に到着しました。横浜から東京に向う汽車の窓から、大森駅あたり線路左側の崖に貝殻の層が露出しているのを発見。直感的に古代の貝塚であると思いました。日本の考古学の発祥地となった「大森貝塚」の発見です。東京の京浜東北線の大森駅北側にある大森貝塚遺跡庭園がその地です。

モースは「日本その日その日」という著書のなかで、日本との出会いを以下のように記しています。「文明人で、日本人ほど、自然のあらゆる形を愛する国民はいない。嵐・霧・雨・雲・雪・花・・・季節による色彩のうつり変わり、穏やかな河、とどろく滝、飛ぶ鳥、はねる魚、そそりたつ峰、深い渓谷・・・自然のすべての形は写生図や「かけもの」に描かれている。」モースは2年間の契約で東京大学の動物学の教授として講義を始めました。モースの教育方針は「Study Nature, Not Books 書物ではなく、自然に学べ。」でした。実際、モースは学生たちを教室外に連れ出し、実物から学ぶ大切さを教えたそうです。自然のなかで、自分で探し、自分で見て、自分で考える。五感や思考力を鍛え、行動の中から疑問を発見し、答えを探し、心理を導きだす。身近なものから学ぶ大切さを唱えています。モースには十分な学歴がありませんでした。高校は何度も変わり、そのつど問題を起こしては退学処分になりました。小学校の頃から学校になじめなかったそうです。

モースは「民族が違えば、文化も違う。他国の文化や価値観を尊重し、その国の歴史や風土のなかに位置づけて受け止めようとする姿勢が大切」という考えをもっていました。今の時代に求められていることです。モースが日本の家屋を見て驚いたことがありました。家の中にツバメが「巣づくり」していることでした。「鳥は幸せを運んでくる・・・。日本の家は幸せにあふれている・・・」と。大森貝塚の発見者として有名なモース。しかし、大学の教授として自由で現代的な教育を行ったことや、日本文化に造詣が深かったことはあまり知られていません。研究の合い間に小学校に講演に出かけ、得意の「両手ぎき(両手にチョークをもって瞬く間に虫を描く技)」を披露しました。もちろん、子どもたちは目を丸くしたそうです。大森貝塚公園には日本陶器の収集に魅せられ、土器を抱いたモースの胸像が私たちを迎えてくれます。

5月のお休みは 3、4、5、28日(土曜日)
   それと日曜日です。

ゴールデン・ウイークはゆっくりと過ごされましたか。
4月9日に 坂出市に東山魁夷(ひがしやまかいい)せとうち美術館が開館しました。日本が豊かな自然と穏やかな色彩に恵まれていことを教えてくれました。瀬戸大橋のふもとにある美術館です。島々を眺めながら、初夏の心地よい風が通りすぎていきます。おからだ、大切になさってください。

木下製粉株式会社会社  平成17年5月6日