2008年3月のお知らせ

待ちわびていた弥生(やよい)の季節がきました。この頃になると、以倉紘平(いくらこうへい)さんが書かれた「夜学生(やがくせい)」という本をひらきます。以倉さんは昭和40年から33年間、大阪府立今宮工業高校(定時制)の国語の教師として在職されました。夜学生とともに人生の大半を過ごしました。以倉さんの本から、生徒さんとの「ドラマ」を紹介しましょう。

理髪店の椅子を作る会社に勤めるMさんが社長に見込まれ、アメリカの支店への栄転を打診されました。でも家には、保険の外交員をして、女手一つでMさんを育てた母親がいます。Mさんは最近、「足腰」が弱ってきている母親のことを心配し、アメリカ行きを辞退しました。ある夜、以倉さんと7人の同級生が、お酒を飲みながら話し合いをしました。友人のKさんが、Mさんへ大きな声で言いました。「おまえは、お母ちゃんの足腰をもむぐらいしか、能のないやっちゃさかい、あきらめろ!」。Kさんは心の中で泣いているようでも、怒っているようでもありました。

後年、Mさんの結婚式で仲人をつとめた私は、このエピソードを披露しました。披露宴のあと、Mさんの母親が私の手を握りしめ、「先生、よう言うてくださいました。私は息子から、何も聞かされておりませんでした」と涙を流されました。Mさんは母親に黙って、アメリカ行きをあきらめたのでした。昔の夜学は、人生の道場でした(この話を読んだ後は、言葉に表せない気持ちに包まれたことをおぼえています)。

定時制高校の4年間を、無遅刻・無欠席で通すことは、並大抵のことではありません。26歳で入学し、4年間皆勤だったY君は、日曜日の文化祭が自分の結婚式」と重なりました。Y君は挙式後、新婦を伴って登校しました。「皆勤」を否定する意見を聞き驚きました。「皆勤やなんて、毎日なんで学校なんかに来るんやろ・・あほちゃうか」。「昼間 働いている生徒には自由時間が少ない。適当に学校を休み、身体を休める」。

以倉さんは、「軽い・スマートな感じの生き方には、ひ弱さがある。困難に出くわすと、避けて通るような都合のよさが隠されている。皆勤生徒は、少々の発熱でも登校しますよ。クラブ活動にも熱中する。私は勤勉によってふれる人生への手ざわりの方が、はるかに創造的で意義深く感じられます」(学校が、学ぶ場そして、思いやりの心を形成する場であることを学びました)。

 

2月のある日、友人からの知らせ・・・「やっと、卒業できたよ」。「大学の通信教育」の卒業です。4年前、「通信教育で建築の勉強をしょうと思うけれど、どう思う・・・!?主人の仕事もすこしずつ助けたいし・・・」と意見を求められました。私は即座に「興味のあることを、勉強することは大切。時間がかかっても 続けて・・・!」と言いました。と同時に、「心の中で、時間的にも大変だろうな・・・」と思いました。

普段はレポートを郵便で提出します。そして年に4・5回、週末を利用して、大阪の大学で講義を受けてきました。専門科目が多くなると、製図を書き、建築の模型を組み立てました。授業で建物の模型を発表したとき・・・先生に修正を指摘されました。自分で考え、修正する作業の繰り返し・・・知らずうちに涙が出てきたそうです。

でも、こういう経験によって、(彼女の子供の年齢にちかい)同級生にも親近感を持てるようになったそうです。そして何よりも、仕事に携わりながら通信教育を受講している人達がいる・・・という事に励まされたそうです。彼女の今の目標は、大学で建築を勉強する息子さんと、実家のお母さんの家を設計することです。

3月のお休みは 20日(春分の日)、29日(土曜日)
   それと日曜日です。

太陽の日差しが、「春の色」になってきました。お体 大切になさってください 。

木下製粉株式会社会社  平成20年3月3日